古代文明の世界遺産 2022.11.20(日)


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今回の世界遺産では古代文明の紹介をしていました。

ミケーネとティリンスの考古遺跡

 ギリシア共和国。ギリシアペロポネソス半島北東部にあるミケーネと、ミケーネ文明を代表するティリンスはシュリーマンによって発見された。ミケーネはトロイア戦争ギリシア軍を率いたアガメムノンの居城とされる。巨石を積み上げた城壁や円形の墳墓が発掘されており、墳墓からは遺体とともに金の仮面など大量の黄金細工が見つかっており、黄金の都と呼ばれた。

シーギリアの古代都市

 スリランカ民主社会主義共和国。5世紀後半シンハラ王国のカッサパ1世が王であった父のダートゥセナを殺害し、弟のモッガッラーナを追放し、王に即位。父が計画した未完のシーギリアの城壁を完成させ移り住んだ。しかし、モッガッラーナに敗れて自害。わずか11年でシーギリアは放棄される。

商都市ペトラ

 ヨルダン・ハシェミット王国。B.C世紀にナバテア人によって建設。ギリシア語で「岩」を意味するペトラは砂漠の交易路を支配し大いに繁栄するも、2世紀初頭にローマ帝国に併合され徐々に衰退する。ペトラで最も有名な遺跡は、アラビア語で、「宝物庫」を意味するアル・カズネ。インディージョーンズの映画でも使われている。

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𝖞𝖆𝖒𝖆𝖐𝖊𝖓 on Twitter: "ペトラ遺跡行ってみたい。 インディ・ジョーンズは最後の聖戦が一番好き。オススメ。 https://t.co/DMPqF8Q8tI" / Twitter

シューシュタルの歴史的水利システム

 イラン・イスラム共和国。B.C5世紀頃にアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がパサルガダエから遷都した首都スーサを起源とする都市。この地には、灌漑、戦時における水の確保、各家屋への水の供給を目的に、ササン朝ペルシア時代に築かれた水利システムが残る。

ラス・メドゥラス

 スペイン。スペイン北西部、アキリアノス山地の斜面に広がる古代ローマ時代の金の採掘場跡。B.C1世紀頃に始まった採掘は、ローマ帝国最大版図を築いたトラヤヌス帝の時代に最盛期を迎え、3世紀まで続けられた。その期間の産出量は750tにも上ったとされる。

ブルー・ナ・ボーニャ:ボイン渓谷の考古遺跡群

 アイルランド。B.C3000年頃に建造されたアイルランド最大の先史遺跡。ニューグレンジ、ノウス、ダウスの大型石室墓と、40以上の墓地が点在。

バルーミニのヌー・ヌラージ

 イタリア。サルディーニャ島のバルーミニ村にある、石を積み上げて造られた防御施設。「ヌラーゲ」とは、B.C16世紀頃から建造が始まった堅固な要塞のことで、サルディーニャ島には、現在7,000ものヌラーゲが残る。

ボロブドゥールの仏教寺院群

 インドネシア共和国。770年頃から820年頃にかけて、仏教を信仰するシャイレンドラ朝によって築かれた、世界最大規模を誇る仏教遺跡。約100年しか王朝は続かず、滅亡とともに寺院も荒廃していたが、1814年に発見されて注目を浴びる。

 自然の丘を利用しさらに盛り土をし、土を覆うように切石を積み上げて建造されたピラミッド状のボロブドゥール寺院は、内部構造がない。立体曼荼羅のような姿。構造は大乗仏教の宇宙観である「三界」を表し、基壇は欲望にとらわれた者が住む「欲界」、その上の方壇は欲界を超越したが物質(色)にとらわれた者が住む「色界」、一番上の円壇は色界も超越し精神のみに生きるものが住む「無色界」を示すとされる。方形壇にある4つの回廊を上階へと上っていくことで、仏教の真理に到達するとされる。

ボロブドゥール寺院遺跡群 - インドネシア 世界遺産の旅【HIS】

ボロブドゥール寺院遺跡群 - インドネシア 世界遺産の旅【HIS】

東大寺 2022.11.13(日)


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今回の世界遺産東大寺が紹介されていましたね。

東大寺古都奈良の文化財として1998年に登録されています。

 

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今回は東大寺の内部とかの紹介がされていたし、巨大な梁を支えるために、当時イギリスの最先端技術、トラス構造が導入されていました。トラス構造で有名なのはフォース鉄道橋ですが、産業革命で鉄鋼業が盛んだった、イギリス。そうした技術がこうした日本の伝統建造物に使われているのは意外でしたが、やはり木造建築を長く維持するのは地震大国である日本では本当に大変なことなのだと感じました。

日本と西洋の融合は法隆寺富岡製糸場などさまざまな所で見ることができますね。

ウェールズ北西部のスレート関連景観 2022.11.6(日)


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登録年:2021年 登録基準:(Ⅱ)(Ⅳ)イギリス

 

ウェールズのスレートは、産業革命以降発達し、スレート自体だけでなく、そのための革新的技術も、世界各地へと波及。スレート産業に関する石切り場(ペンリン採石場、ヴィヴィアン採石場、ゴルセーダ採石場など)、建造物、鉄道、港湾などを含む文化的景観。

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スレートは屋根材に適しており、バッキンガム宮殿やシャンボール城などにも使われており、ヨーロッパの建物には欠かせなかった。

昔は、採石場から馬車や水路が使われていたが、産業革命蒸気機関車が発明されると飛躍的に生産効率が上がった。19世紀後半には世界の3分の1のスレートがウェールズ産だったという事からも驚きである。

 

ナハニ国立公園 2022.10.30(日)


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登録年:1978年 登録基準:(ⅶ)(ⅷ) 自然遺産

カナダ

 

カナディアンロッキー北西にあたる、サウス・ナハニ川沿いの一帯に広がる公園。

上流はゆったりと流れているが、落差92mのヴァージニア・フォールを過ぎると岩をも削る急流となり、峡谷を蛇行しながら進んでいく。ナイアガラの滝の2倍の落差があり、メイソンズラックと呼ばれる高さ120mの巨岩がヴァージニア・フォールの真ん中にそびえ立ち、2つに分かれ見事な景観を生んでいる。

 

公園内は高緯度のツンドラ地帯でありながら気候が穏やかで、野生のハッカやシオンなどの植物が自生しており、温泉も湧き出る。車道はなく人がほとんど立ち入ることはない。

ナハニ国立公園は北緯60度以北にありながら、氷河に覆われなかった珍しい場所で、テーブル状の山頂が多くみられる。

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https://tuins.tuins.ac.jp/~satoh/n_w_a2002/n_w_a2002_1-3.htm

 

図表の通り、コルディエラ氷床とローレンタイド氷床が左右から北米大陸を氷河で覆ったが、カナディアンロッキーの一部だけは氷河に覆われなかった。その覆われなかった部分が現在のナハニ国立公園付近である。

最終氷河期が終わり、2つの間の氷河が後退すると、無氷回廊と呼ばれるエリアが生まれた。人類がアメリカ大陸に渡った、移動経路について長い間、この無氷回廊の部分がその移動ルートではないかという説が考えられていた。

しかし、2016年8月10日、英科学誌ネイチャーに掲載された研究結果によると、1万5000年頃に新世界に渡った祖先は、それまで覆っていた氷が既に消え、食料となる動植物が生息可能になっていた太平洋沿岸部を移動したことが考えられていると発表した。

同誌によると、人間が移動できるような回廊ができたのは、約1万2600年前とみられ、当時この周辺に動植物が生息していた形跡は皆無で、人類が長く険しい氷の断崖の隙間を移動する間、食べる物が何もない状況で移動することは困難であると考えたのだ。

Footprints at White Sands

2021年になって、北米大陸の内陸部で2万年以上前の人類の足跡を発見したという研究が米科学誌サイエンスに掲載。しかし、懐疑的な意見を持つ科学者も多い。

人類がアジアから北米大陸へ移住した時期については今なお議論されている。

 

イシマンガリソ湿地公園  2022.10.17(日)


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登録年:1999年  登録基準:(ⅶ)(ⅸ)(ⅹ)自然遺産

南アフリカ共和国

 

南アフリカ共和国の北東部のインド洋に面した海岸部に位置するイシマンガリソ湿地公園は南北約200kmにわたり、セントルシア湖、ムクゼ湿原、サンゴ礁、大砂丘など多様な自然環境を持つ。

イシマンガリソは先住民の言葉で『驚異』を意味する。

公園内には53種のサンゴが見られるが、この地がアフリカでサンゴが見られる南端である。他に734種の植物、129種の哺乳類も確認されている(希少種のシロサイなどもいる)。また、521種にも及ぶ鳥類の繁殖地としても有名。

沖合の海底には生きた化石と呼ばれるシーラカンスが現存していることでも有名。

 

セントルシアはイシマンガリソ湿地公園の観光の拠点である。

セントルシアでは夜な夜なカバが歩く町として有名である。

 

セゴビアの旧市街とローマ水道橋 2022.9.25(日)


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登録年:1985年/2015年範囲変更  登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ)

スペイン

 2つの川に挟まれ、丘陵地帯にあるセゴビアは、自然を有効活用した要塞都市。

紀元前80年に、ローマ帝国支配下に入った。イベリア半島の交通の要所であり、ローマ人にとって重要な地であった。ローマ人が得意としたアーチ形の水道橋は今も現存している。128の2層のアーチ、全長813m、最高部28.5m。

15km先の川から地下水路を築き、水を引いた。

 12世紀になると、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世が、ローマ時代に要塞として建造された建物を改築しアルカサル(王宮)とした。スペインで最も美しい城といわれる。

スペイン女王イサベルの栄光と悲劇

スペイン女王イサベルの栄光と悲劇

カスティーリャ王国の最盛期、イサベル1世女王は名君とされ、後のスペイン帝国の礎となった。富をもたらしたのは大航海時代であり、コロンブスの最大の支援者はイサベル1世といわれる。セゴビアの街も大きな船のような形をしている。

 

シラクサとパンタリカの岩壁墓地遺跡 2022.9.18(日)


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登録年:2005年 登録基準:(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)文化遺産

イタリア共和国

 

イタリアシチリア島東部にあるシラクサとパンタリカは、3,000年前に興った地中海文明の歴史的遺物が残る都市。

もともと先住民のシチリ(後のシチリア島の語源)がパンタリカに住んでいた。採掘場の岩肌からは紀元前13~7世紀にかけての墓が5,000以上見つかっており、ビザンツの痕跡も残る。

そのパンタリカから海に向かっていくとシラクサの港につく。古代ギリシア人は海洋民族で各地に定住地を求めて旅していた。シラクサは地中海の貿易圏の中心に位置しており、ギリシア人が住むようになった。ギリシア時代の神殿や劇場、地中の水路網が造られ、一時ギリシア人の本拠地アテネより人口が多く栄えたと言われたそう。

後に古代ローマ人に占領され、地中の水路網は墓地として利用された。円形闘技場や要塞が残る。