ヴァッハウ渓谷の文化的景観  2023.12.10(日)


www.youtube.com

登録年:2000年  登録基準:(ⅱ)(ⅳ)

オーストリア共和国

 

メルクからクレムスに至る約35kmのドナウ川渓谷に広がる文化と自然の調和が特徴的な地域。

回想のドナウ川 by chusan | CSSのロングバケーション

ドナウ川はドイツ南部を源流とし、10ヵ国以上を通って黒海に注ぐ国際河川

全長は約2,850km。

 

ヴァッハウ渓谷は風光明媚なことで知られ、川沿いには城郭や小さな村、街が点在し、丘の斜面にはブドウ畑が広がっている。一帯からは先史時代の遺物(ヴィーナス像や石器)も出土し、古くから人々が生活していたことがわかる。

ドナウ川が重要な交通手段として利用された中世には交通の要衝となり、首都ウィーンを守る役割もあった。

 

ロドス島の中世都市  2023.12.3(日)


www.youtube.com

登録年:1988年  登録基準:(ⅱ)(ⅳ)(ⅴ)

ギリシャ共和国

 

 

エーゲ海の南東に位置するロドス島は海上要塞の重要な拠点であった。

古代ギリシャ、ローマ、聖ヨハネ騎士団オスマン帝国など各時代の強国や軍隊の支配下におかれた歴史を持つ。

世界遺産に登録されているのは、聖ヨハネ騎士団イスラム勢力に対抗するために築いた全長4kmに及ぶ城壁に守られた要塞都市。城壁には11の門がある。

騎士団は母国語によって7つの軍隊に分かれていて、騎士団通りの両側に各国の館が築かれている。1309年に弱体化したビザンツ帝国からロドス島を奪った聖ヨハネ騎士団は、街を再建、強固な要塞で街を防御。

15世紀には、トルコ20万人の軍隊やエジプトによる侵略を防いだが、1522年、オスマン帝国のスレイマン大帝による攻撃は防ぎきれなかった。10万の軍勢による6ヶ月の全島包囲の末、陥落した。

1523年以降、建物の多くがモスクに転用。街の南部ではヨーロッパのゴシック建築イスラムのモスク、ハマム(公衆浴場)の混在が確認できる。

 

 

ヨセミテ国立公園  2023.11.26(日)


www.youtube.com

登録年:1984年  登録基準:(ⅶ)(ⅷ)

アメリカ合衆国

 

アメリカ西部カリフォルニア州、サンフランシスコから東へ300kmほどの位置にある。氷河期に形づくられたダイナミックな地形が特色の国立公園で、年間430万人もの観光客が訪れるという。

シエラネバダ山脈中央部に位置する一帯は、70万~1万年前に氷河の活動が活発だった。カリフォルニア州がゴールドラッシュに沸いた19世紀後半になって注目が集まる。入植地を襲ったアメリカ先住民を追跡していた騎兵隊が偶然たどり着いたのがきっかけとされる。先住民が追い出されると、白人にとって格好のハイキング場となる。

ヨセミテ大自然に魅せられて移住したジョン・ミューアは、ヨセミテの地形は氷河活動の産物であるという説をいち早く発表し、自然保護を訴えた。結果、1890年のイエローストーンに次いで2番目の国立公園として誕生した。

約3,000㎢という東京都の約1.5倍にもあたる広大な敷地には、渓谷やモレーン、300もの氷河湖が点在。ハーフドーム(標高2,693m)やエル・キャピタン(標高2308m)なども景観として存在感を放つ。

 

ティカル国立公園 2023.11.5(日)


www.youtube.com

登録年:1979年  登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅸ)(ⅹ)

グアテマラ共和国

 

ティカル国立公園には、マヤ文明最大級の神殿都市遺跡が残されており、公園内には221㎢にも及ぶ熱帯雨林が広がる。

人が定住し始めたのはB.C11世紀頃とされるが、マヤ文明的な特色が見られるようになるのはB.C30年頃のこと。3~6世紀にはメキシコ中央平原の大都市テオティワカンの影響も色濃く受けており、交流があったことも分かっている。

4世紀後半にはテオティワカンに征服され、従属する王朝が築かれた。

7世紀からは宗教、芸術、科学など独自の発展を見せ、マヤの各都市国家などとの交易も盛んになる。現在まで残る約3,000の建造物がこの時期に建設され、灌漑施設も整備、都市の人口は6万人以上にも及ぶ。9世紀頃からティカルは衰退期に入り、間もなく廃墟と化す。原因ははっきりしておらず、自然災害や飢饉、戦争や内紛、環境破壊などが考えられている。

1696年にスペイン人によって再発見された。1950年代になってマヤ文字の解読が進んで、国家の繁栄の過程や39人の王がいたことなども分かっている。

ティカルの神殿都市の中心部は、増改築が繰り返された建築物の複合体であるアクロポリスや、4つの建物が1つになったコンプレックスよ呼ばれる建築群からなる。

コンプレックスは四角形の祭礼空間に2対のピラミッドを1組として形成したもので、マヤ文明を知るうえで重要な遺跡とされる。

周辺の森林や生態系も重要であると考えられ、ホエザルやクモザルが群れをなす。中央アメリカ最大規模の熱帯雨林は20世紀に伐採が進められたことから保護の必要性が認められ、自然遺産の価値を含む複合遺産として登録されている。

 

ブルゴーニュのブドウ栽培の景観  2023.10.22(日)


www.youtube.com

登録年:2015年  登録基準:(ⅲ)(ⅴ)

フランス共和国

 

ブルゴーニュ地方の都市ディジョン南部に位置するコート・ドゥ・ボーヌとコート・ドゥ・ニュイの丘陵地。ブルゴーニュワインはワインの王様とも称されるワイン。

ブドウが栽培されている畑を区画「クリマ」と呼び、世界遺産のエリアに1236ものクリマが存在する。そのクリマの景観の美しさが世界遺産となった。四季を通して、美しさが異なるが、夏に収穫が終わり秋を迎える畑は金色に染まり、黄金の丘と呼ばれるほど美しい。その美しい景観はたった10日間ほど。

ワインの味は地質や日照条件などの自然条件で異なるが、このブルゴーニュの丘ではたった数百メートル違うだけで味や香りが異なる。そこには地質が関係しており、岩の層、泥状の層、小岩の層が存在する。層の違いで根の張り方が異なり、栄養状態に違いが生じ、味や風味、そして価格も異なる。岩の層は特級、泥状の層は一級、小岩の層は村と階級分けをしている。その地質の違いで味が異なり、地質ごとにクリマを作ったのは昔の修道士たちだった。

その歴史が今も受け継がれ、大切にワイン栽培をしているからこそ、最高品質のワインが生まれている。

 

クイーンズランドの湿潤熱帯地域  2023.10.15(日)


www.youtube.com

登録年:1998年  登録基準:(ⅶ)(ⅷ)(ⅸ)(ⅹ)

オーストラリア連邦

 

世界太古の森とも言われる地域。恐竜がいた時代からの森が存在する。クイーンズランドの湿潤地域はかつての巨大なゴンドワナ大陸が切り離され、オーストラリア大陸ができた。オーストラリア自体は乾燥化が進むが、クイーンズランドは南北にそびえるグレート・ディヴァイディング山脈によって海から運ばれた湿った風が上昇気流を生み、年間雨量1,200~1,900mmに上る多量の雨が降り注ぐ熱帯雨林。南北450kmにも及び、総面積9,000㎢以上で東京都の4倍を超える。

この湿潤熱帯地域には800種類以上の樹木が生育し、1億2,000万年前のシダ植物から裸子植物被子植物へと進化した過程が見られる。

また、オーストラリア大陸有袋類のうち約30%以上の種類がこの森に生息。

木に登る珍しいカオグロキノボリカンガルーや最も原始的な有袋類とも呼ばれるネズミのようなニオイネズミカンガルー、岩場に住むマリーバイワワラビーなど多くのカンガルーがいる。

グレート・ディヴァイディング山脈と貿易風の関係でもたらされる多量の雨は多くの植物を守り、そして多くの栄養を含んだ水は川からやがて海へと流れ出る。その栄養のある水は海のサンゴ礁の成長にもつながった。クイーンズランドの森に沿った沖合に世界最大のグレートバリアリーフが存在する。

オーストラリア・クイーンズランド州に見る ワーキングホリデー ...

ja.wikipedia.org

旅の拠点はやはりケアンズ。もともとは先住民族アボリジニーが住んでいたが、イギリス人が入植した。その後、農業用地の開墾も進んだ。クイーンズランドの森も開墾によって多くの森林伐採が進み、生態系が破壊された。しかし、その後森を守るという活動が広まり、植林活動は今も続いている。

 

メンフィスのピラミッド地帯 2023.10.8(日)


www.youtube.com

登録年:1979年  登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅵ)

エジプト・アラブ共和国

 

ピラミッドといえば、日本の仁徳天皇陵古墳、中国の秦の始皇帝陵と並び世界三大墳墓の1つと言われるほどの巨大な墓である。ピラミッドの中で一番高いのがクフ王のピラミッドである。3つ並んで前にスフィンクスが座っているというよく目にする光景の1つがクフ王の墓である。

ギザの三大ピラミッド クフ王のピラミッドは世界最大の墓 ...

ギザの三大ピラミッド クフ王のピラミッドは世界最大の墓! | 世界をまたぐ ~自分の可能性を信じて~

 

エジプトの首都カイロ近郊、ナイル川西岸にあるメンフィスのピラミッド地帯は古代エジプト古王国時代の王たちがつくった巨大な建造物のある地域。

王国の首都だったメンフィス周辺のギザからダハシュールにかけて、約30のピラミッドや建造物が点在している。ピラミッドを初めて建造させたのは、古王国時代第3王朝のジェセル王である。それまでは日干しレンガなどでマスタバと呼ばれる角形の墳墓をつくっていた。しかし、ジェセル王は、宰相イムホテプに命じ、それまでにない墓をつくらせることにした。それがピラミッドの始まりであった。その後の王たちは、競うようにピラミッドを造営。

第4王朝のスネフェル王は、在位中に屈折ピラミッドや赤のピラミッドなど3つも建造したともいう。さらに、次のクフ王の時代には、現存する最大のピラミッドが築かれた。そして、息子のカフラー王、孫のメンカウラー王の巨大ピラミッドが建造されたが、その次のシェプセスカフ王は、自らの墓所としては簡単なマスタバを建造。

その後のファラオも小規模なピラミッドにとどめるようになり、ピラミッド時代は終わりをつげた。巨大なピラミッド建造は農閑期に人々を動員する一種の公共事業であったとさせる説もある。クフ王のピラミッドには3万とも10万ともいわれる人々が従事したとされるが、多くの労働力のみならず、大きな財源も必要とした。この辺りがピラミッドの終焉の理由の1つではないかとされる。

 

2019年にサッカラという地域の墳墓で貴族である「クウイ」という人物のミイラが見つかった。密閉された地下空間は風化されることなく保存されていたため、4300年前の色のついた壁画が残っており、その壁画にクウイと記されており、極めて貴重なミイラや壁画が発見された。