石見銀山遺跡とその文化的景観

登録年 2007年/2010年範囲変更 登録基準  (ⅱ)(ⅲ)(ⅴ)  文化遺産

島根県

 

 

登録基準

●登録基準(ⅱ)

16~17世紀初頭の大航海時代石見銀山における銀の生産は、アジア及びヨーロッパの貿易国と日本との間における重要な商業的・文化的交流を生み出した。

 

当時、日本産の銀の産出は世界の1/3~1/4を占めたと考えられる。しかし16世紀後半のスペインによる新大陸のポトシ銀山の開発から、現在のボリビアやメキシコ産のメキシコ銀が増大し、スペイン銀貨といわれるようになり、次第に日本銀は衰退。

ボリビアの『ポトシの市街』も世界遺産に登録されているよ。最新のアマルガム法が取り入れられ、17世紀半ばまでの約100年間で、世界の銀産出量の半分を占めた。

 

●登録基準(ⅲ)

小規模な「労働集約型経営」に基づく優れた運営形態の進化をもたらし、採掘から精錬までの一連の技術全体を包括。江戸時代の鎖国は、ヨーロッパの産業革命の技術導入を遅らせたが、石見銀山の鉱山活動も次第に枯渇し、連動するように停止したため、結果的に多くの考古学的遺跡が良好な状態で保存されることにつながった。

 

●登録基準(ⅴ)

鉱山遺跡、街道、港など現在は山林の景観に覆われ、文化的景観の「残存する景観」は、銀生産に関わった人々が長く生活してきた集落の「継続する景観」の地域を含んでおり、歴史的土地利用のあり方を示す。

 

構成資産

銀鉱山跡と銀山街、街道、港と港街の3分野で14の構成資産からなる。

①銀鉱山跡と銀山街

(1)銀山柵内(ぎんざんさくのうち)

採掘、選鉱・製錬・精錬まで、一連の工程が行われた銀鉱山跡。龍源寺間歩、清水谷精錬所跡、石銀(いしがね)遺跡、清水寺、唐人屋敷跡など、当時の様子がわかる遺構が残っている。

※「間歩(まぶ)」とは手掘りの坑道のことで600ほどある。

(2)代官所

(3)矢滝城跡(やたき)

(4)矢筈城跡(やはず)

(5)石見城跡(いわみ)

3~5は石見銀山を防御するための山城遺構で、いずれも中世山城の立地・形態をよく留める。

(6)大森銀山重要伝統的建造物群保存地区

鉱山に隣接する谷間に発展した鉱山街。現在は南北約2.8kmの範囲に、伝統的な木造建築が立ち並ぶ集落が展開。南側の「鉱山地区」と北側の「大森地区」に分かれる。

(7)宮の前地区

(8)重要文化財熊谷家住宅

大森地区における最大規模の商家建築。

(9)羅漢寺五百羅漢

②街道

(10)鞆ヶ浦道(ともがうらどう)

(11)温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)

③港と港街

(12)鞆ヶ浦

16世紀前半、博多に向けて銀鉱石や銀を積み出した港。

(13)沖泊

16世紀後半にかけて、精錬した銀の積み出しや石見銀山への物資の補給を担う。

(14)温泉津重要伝統的建造物群保存地区

 

歴史

1526年に発見され、当時、日本最大の貿易港であった博多の豪商である神屋寿禎(かみやじゅてい)によって開発が進められる。16世紀前半の石見地方は、博多を拠点に中国、朝鮮との貿易を盛んに行っていた戦国大名大内氏支配下にあり、神屋もその保護のもと、中国の貿易と関わっていた。産出した銀鉱石を、鞆ヶ浦港から博多に送っていたため、鞆ヶ浦には多く人が移り住み、次第に集落が広がる。

1533年、神屋は朝鮮から伝来した「(灰吹法はいふきほう)」という新たな技術を用いて銀精錬を行うことで、石見での銀産出量は飛躍的に増大。

1550年代、大内氏が内紛によって滅亡すると、近隣地域の有力大名による争奪戦が勃発し、矢筈城や石見城では激しい攻防が繰り広げられる。

1562年に制したのは安芸地方の毛利氏。毛利氏は銀山と港の間に、新たに街道を整備。

1600年の関ケ原の戦い後、徳川幕府支配下に置かれる。奉行としては件された大久保長安のもと鉱山経営が行われた。大森地区の整備を進め、さらに産出量は増加。

1620~1640年代の最盛期には、年間1000~2000kgの銀が産出。しかし、その後は鎖国政策、銀の枯渇もあり、減少の一途をたどり、1869年個人業者へ払い下げられ、1923年に休山した。

灰吹法 - 大学生がつくる地域活性化サイト ―島根県石見地方からの情報発信―

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大内氏

1528年、大内義興が死去し、義隆の時代になると、周防(現山口県東部)、長門(現山口県西部)、石見(現島根県西半部)、安芸(現広島県西半部)、備後(現広島県東部)、豊前(現福岡県北東部)、筑前(現福岡県北西部)の7か所を領有する、名実共に西国一の戦国大名になる。しかし、大内氏が衰退するのも義隆の時代だった。1541年、出雲国の遠征失敗での大敗を機に内部内乱のような状態になる。1551年、義隆は追い込まれ自害する。これに乗じて、安芸国の最大勢力となっていた毛利元就が侵攻する。1557年に大内義長は自害し、大内氏は滅亡する。

 

毛利氏

大内氏を滅亡させた毛利氏はその所領する土地を手に入れ、中国地方最大の戦国大名となる。1562年に石見銀山も制し、管理下に置く。しかし、関ケ原の戦いで毛利氏の勢力は一気に失われる。実は天下分け目の関ケ原の戦いで総大将だったのが、東の徳川家康、西の毛利輝元(元就の孫)だったそう。勝手なイメージで石田三成だっと思っていました。実際に輝元は戦場にはいなかったようで、指揮をしていたのは石田三成なよう。この辺りは調べて奥が深いのここまで。という事で関ケ原の戦いで敗れたので、毛利氏の勢力が一気に失われたのも納得。そして徳川幕府石見銀山が支配されたのも納得ですね。

 

 

 過去問にチャレンジ!!

2017年7月1級問題

【問55】

石見銀山遺跡とその文化的景観』に含まれる鉱山街である大森地区を徳川幕府支配下で整備し、銀山経営の新たな拠点とした人物として、正しいものはどれか

①本城常光 ②尼子経久 ③大内義興 ④大久保長安

 

解答 答えは④

 

2017年12月問題

【問19】

日本で文化的景観の価値が認められている『石見銀山遺跡とその文化的景観』で、鉱山でありながら自然景観が残された主な理由として、正しいものはどれか。

①森林が薪炭材の供給源として保護されたため

②森林で貴重な坑道の入り口を隠すため

③苛酷な労働環境であった坑道内部の気温を下げるため

④鉱山開発に労働力を優先的に回し森林開発が行われなかったため

 

解答 答えは①

石見銀山の遺構の周囲には、19世紀まで銀生産や住民たちの生活で使用された薪炭材(しんたんざい)の供給源であった森林をはじめ、豊かな自然環境が残されている。鉱山の運営、人々の暮らしの様子を物語る景観が、広い範囲でかつ良好な状態で残されていることが、文化的景観として認められた。

 

2016年7月1級問題

【問76】

石見銀山遺跡とその文化的景観』の「銀山柵内」に含まれる資産として、正しくないものはどれ

①龍源寺間歩 ②清水谷精錬所跡 ③石銀遺跡 ④石見城跡

 

解答 答えは④

石見城跡は単独の構成資産となっている。

 

2016年12月1級問題

【問27】

石見銀山遺跡とその文化的景観』に残されている森林の説明として、正しいものはどれか

ミズナラシナノキなどからなる冷温帯性落葉広葉樹林が広がる

②日華植物区系に属する全ての植物を見ることができる

③19世紀まで銀生産や地域住民の生活で使用された薪炭材の供給源であった

④奉行の大久保長安林業からの産業転換を図り樹木の伐採を禁止したため残された

 

解答 答えは③

 

観光

石見銀山を訪れた際は大森地区に立ち寄りたい。石見銀山|住人が守りつづけた町並みと暮らし:JR西日本

石見銀山|住人が守りつづけた町並みと暮らし:JR西日本

 

御前そば

 御前そば

 

築100年の古民家を改装したお店のよう。羅漢寺に湧く名水を使って打っているおそばのようです。食べてみたいですね。

 

宿泊

石見銀山周辺に泊まるというよりは東部の出雲・松江方面に宿泊すると出雲大社松江城足立美術館といった所への観光がしやすいかと思われます。

 

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石見銀山がある大田市は石見地方と出雲地方の境目にあります。歴史上においても同じ県なのに、文化が違うのです。出雲は神話の話で登場するように、古くからその歴史があり、石見は大内氏などの支配にもあるように支配されることで他県や諸外国の文化と交流があったとされています。私が島根に住んでいたときも近いようで遠い、それが出雲地方でした。

島根には石見、出雲、そして隠岐と地方によって雰囲気も違うので、時間があればゆっくり各地を回ってほしいと思います。

宿泊に関しては人口の比率からもやはり出雲、松江方面が便利です。

そして玉造温泉がとっても有名です。玉造温泉の歴史は深く、奈良時代初期からあったとされ、日本でも最古の歴史を持つ温泉。美肌の湯としても有名です。

 

白石家は創業303年と歴史がり、じゃらんアワードや楽天アワードでも受賞の常連。

ぜひ島根旅行の際には検討してみてほしいと思います。検索は楽天トラベルから「白石家」のキーワード検索で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知床

登録年 2005年 登録基準(ⅸ)(ⅹ)自然遺産

北海道

 

 

登録基準

●登録基準(ⅸ)

季節海氷による活発な生物活動が見られる知床は、海、陸、川の相互作用のある生態系の見本。

 

●登録基準(ⅹ)

オホーツク海に突き出すように延びた半島で、中央に知床連山がそびえ知床では、東西で気温、降雨量に大きな違いがある。その多彩な自然環境は、生物多様性保全にとって、最も重要な生育・生息域を包括。

 

概要価値

知床は北海道の北東端に位置する、長さ約70km、基部の幅約25kmの細長い半島。近海は地球上で最も低い緯度で海氷が結氷する「季節海氷域」に位置。季節海氷(流氷)は、周辺海域に豊かな海洋生物を育む大きな要因。また暖流の宗谷海流と寒流の東樺太海流の境界性に位置することで多種多様な魚類や海藻類が生育する理由になっている。

北海道

 

https://www.osaka-c.ed.jp/kitasenri/40/hokkaidou3/hokkaidou.html

そこから起きる海、陸、川に及ぶ独特な食物連鎖は、地球上のほかの地域では見られない、極めて稀な例とされている。

 

遺産の概要

①歴史的背景

知床半島に人が住み始めたのは、およそ1万年前頃と考えられている。約1200年前に大陸方面からオホーツク海沿岸を南下した海洋狩猟民族が知床に到達。さらに800年前から北海道全域で生活していた別の民族との吸収同化が進む。そのなかで生まれたのが、アイヌ民族と考えられている。

アイヌ民族シマフクロウやシャチ、ヒグマを神として崇敬する独自の信仰のもと、自然と共生した狩猟採集文化を育んでおり、130年前まで手つかずの自然が保持されていた。

明治に入ると、北海道の各地で開拓が進んだが、知床半島は厳しい自然環境のため影響をほとんど受けなかった。その後、知床の内陸部でも開拓が進み、1914年、1935年、1949年の3度にわたり入植が試みられたが、いずれも失敗、1966年までに全ての開拓者が撤退している。1964年、「自然公園法」に基づき国立公園に指定された。1977年、開拓地跡を森林に復元する「しれとこ100平方メートル運動」がスタートし、日本最初のナショナルトラスト運動として大きく発展。

 

②地形と気候

知床連山が東西を分断するように走っている。そのため、東西では気候が違う。

西のウトロ

・海岸線には100万年前から堆積した火山噴出物が侵食され海食崖となっている。

・知床連山から吹き下ろす風によって生じるフェーン現象と暖流であるオホーツク海流の影響で気温が高く、降雨量は少ない。

・観光業が主要。

東の羅臼

・なだらかな海岸線。

・太平洋から吹きこむ湿った南東風が知床連山にぶつかり雨が多く、海霧が発生し気温が低い。

・漁業が主要。

 

過去問にチャレンジ

 2017年12月検定 1級問題

【問69】

『知床』の「知床半島」の説明として正しいものはどれか

知床半島中央部には、最高峰ウトロ岳をはじめとする知床連山がある。

知床半島は、北米プレートに太平洋プレートが滑り込むことで生じた隆起と火山活動によって形成された。

羅臼側の海岸は、100万年前から堆積した火山噴出物が波浪と海水によって浸食された「海食崖」が続いている。

知床半島の陸地部分は全て「プロパティ(核心地域)」に指定されており、「バッファー・ゾーン(緩衝地帯)」は海域に設定されている。

 

解答 答えは②

①最高峰は羅臼岳(1660m)である。

③の説明はウトロ側の説明である。

④は写真の通りでバッファー・ゾーンには陸地と海域がある。

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2017年12月1級問題

【問70】

『知床』とほぼ同じ緯度にある世界遺産として、正しくないものはどれか。

ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋) ②サン・マリノの歴史地区とティタノ山

ルーネンバーグの旧市街        ④始皇帝陵と兵馬俑坑(へいばようこう)

 

解答 答えは④

知床は北緯44度に位置している。

①は北緯43.95

②は北緯43

③はカナダの町で北緯44.378

④は中国中央部、西安にあり北緯34

 

2016年7月1級問題

【問30】

「知床」に関する次の文中の空欄に当てはまる語句として、正しいものはどれか

知床の食物連鎖は、季節海氷がもたらす栄養分の循環によって生じる(  )に端を発しており、そこから海洋生態系と陸上生態系が相互に関係するダイナミックな生態系が生まれている。

①サケやマスの大移動

②キタキツネやヒグマの海岸への大移動

③アイス・アルジーなど植物プランクトンの大量発生

④オヒョウやオオカミウオなど魚類の大量発生

 

解答 答えは③ 正答率97.2%の問題 なんとなくでも解ける問題だね。

冬になると海氷下で生じる低温の濃塩水(ブライン)の降下により活発化した対流で、海中の下層や海底付近に蓄積されている栄養塩が海水面付近まで押し上げられる。そのため、海氷の氷解が始まる早春頃になるとアイス・アルジーをはじめとする植物プランクトンが大増殖。

それを餌にするオキアミや小エビなどの動物プランクトンの増殖

それを餌にする小魚や貝類が繁殖

近海にはそれら小動物を捕食するサケやマスなど大型回遊魚やアザラシなどの海生哺乳類、さらにはオオワシオジロワシなどが集まる

さらに産卵のため河川を遡上するサケやマスが、森林に生息するキタキツネやヒグマ、シマフクロウの餌となる

 

 

2016年12月1級問題

【問33】

登録基準(ⅹ)が認められる『知床』に関する以下の文中の語句で正しくないものはどれか。

知床は、暖流の(①宗谷海流)と寒流の(②東樺太海流)の境界線に位置するため、近海には多種多様な魚類や海藻類が生育している。冬になると海氷下で生じる低温の濃塩水「(③ジールス)」の降下によって海中の対流が活発化し、そこから(④植物プランクトン)が大量発生することで、大規模な食物連鎖が起こる。

 

解答 答えは③

7月の問題でも触れた内容。ジールスではなくブラインという言葉が正解だよ。

 

 

観光

知床八景がやはりおススメ!

オシンコシンの滝

オシンコシンという名前はアイヌ語の「川下にエゾマツが群生するところ」を意味する「オ・シュンク・ウシ」から転じた。国道334号沿いにあり、滝と駐車場の位置が近いことから、観光バスも立ち寄ることが多い。

 

②オロンコ岩

斜里町ウトロのウトロ港にある高さ約60メートルの巨岩。当地の先住民族「オロッコ族」が由来。

③夕陽台

④プユニ岬

ウトロ港から東3.5kmのオホーツク海に面する岬。流氷の最初の接岸地、水平線に沈む夕陽の名所として知られる。

プユニはアイヌ語で「穴のある場所」のこと

⑤フレペの滝

知床連山を源とする地下水の滝で、流入河川を持たないため水量が少なく、高さ約100メートルの断崖の割れ目から染みだした水が涙の雫のように斜面を流れ落ちる様子から「乙女の涙」という愛称で親しまれる。

フレペはアイヌ語で「赤い水」のこと

知床峠

羅臼町斜里町の境にある国道334号の峠。標高738メートル。気候の変化が著しく、雪崩やがけ崩れなど道路管理に厳しい条件となっており、降雪により北海道内で唯一通行止めになる。(冬期間:概ね10月下旬から4月下旬)

天気が良ければ北方領土国後島も眺めることができる。

峠頂上部より羅臼側標高650メートル地点は見返り峠と呼ばれており、ヘアピンカーブが続く。

 

知床五湖

カムイワッカの滝

斜里町カムイワッカ川にかかる滝。滝自体が温泉になっている。正式にはカムイワッカ湯の滝で、このカムイワッカ湯の滝の約1km下流に、カムイワッカ川の水が直接、オホーツク海に落下するカムイワッカの滝がある。こちらは陸路では近づけない。

カムイワッカアイヌ語でカムイ=神、ワッカ=水の意で、川の温泉成分が強い硫黄成分を含むため、生物が生息できない「魔の水」の意味として解釈。

2005年に世界遺産登録されてから、観光客が急増。落石の危険もあることから立ち入り規制が行われるようになった。

 

 宿泊

職場の知人に聞くと、やっぱり第一という意見が多かった。私は知床の北こぶしというホテルには泊まったことがある。知床第一ホテルもいつか行きたいと思いながら、子供が生まれてからはなかなか行けていません。どちらのホテルも知床では人気が高いホテルです。知床第一ホテルといえばバイキングが有名。

 

 

 

 

 

 

富士山ー信仰の対象と芸術の源泉

登録年 2013年 登録基準(ⅲ)(ⅵ)文化遺産

静岡県山梨県

登録基準

●登録基準(ⅲ)

富士山周辺では、古くから富士山を「神仏の居処」とする山岳信仰に基づいて山麓の湧き水などにも感謝するという独自の伝統があった。それは時代を越え、富士登山や巡礼の形式に受け継がれた。そして今なお生きる山岳信仰や伝統を伝える類のない例。

 

●登録基準(ⅵ)

日本の最高峰であり、円錐形をなす独立成層火山としての美しい姿は、日本固有の詩歌や文学作品にも描かれるなど、古くから様々な芸術活動の母体になった。19世紀には浮世絵に描かれた富士山の姿が近現代の西洋美術のモチーフとなり、西洋の数多くの芸術作品に影響を及ぼすとともに、日本の象徴として海外にも定着。

 

印象派ゴッホ、モネ、ルノワールセザンヌなど)を代表する画家たちは浮世絵に影響を受け、新しい絵画の創作に取り組む。

ゴッホ「タンギー爺さん」【複製画:マイクロファイバー】 | 絵画 ...

ゴッホ「タンギー爺さん」【複製画:マイクロファイバー】 | 絵画プリントグッズの通販 ORIE original

ゴッホタンギー爺さんの肖像」には歌川広重の富士山などがはっきり描かれている。

その他多くの芸術家に影響を与え、世界から「フジヤマ」として愛され、日本の象徴として心に刻まれた。

もちろん、日本でも富士山は古くから描かれてきた。平安時代の「聖徳太子絵伝障子絵」という作品に始まる。

聖徳太子絵伝 | かなた♪富士山研究所

聖徳太子絵伝 | かなた♪富士山研究所

以降は、鎌倉時代の「一遍上人伝絵巻」、室町時代水墨画での富士山、江戸時代の浮世絵(有名なのは葛飾北斎富嶽三十六景歌川広重の富士三十六景)の作品。

 

構成資産

富士山域を中心に25の構成資産が登録。

1.富士山域

1-1.山頂の信仰遺跡群

1-2.大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)

1-3.須山口登山道(すやまぐち)(現御殿場口登山道)

1-4.須走口登山道(すばしりぐち)

1-5.吉田口登山道

1-6.北口本宮富士浅間神社

1-7.西湖(さいこ)

1-8.精進湖(しょうじこ)

1-9.本栖湖

2.富士山本宮浅間大社

3.山宮浅間神社(やまみやせんげん)

4.村山浅間神社(むらやませんげん)

5.須山浅間神社(すやませんげん)

6.富士浅間神社(ふじせんげん)

7.河口浅間神社(かわぐちあさま)

8.富士御室浅間神社(ふじおむろせんげん)

9.御師住宅(おしじゅうたく)(旧外川家住宅)

10.御師住宅(小佐野家住宅)

11.山中湖

12.河口湖

13.忍野八海(おしの)(出口池)

14.忍野八海(お釜池)

15.忍野八海(底抜池)そこなしいけ

16.忍野八海(銚子池)

17.忍野八海(湧池)わくいけ

18.忍野八海(濁池)

19.忍野八海鏡池

20.忍野八海(菖蒲池)

21.船津胎内樹型

22.吉田胎内樹型

23.人穴冨士講遺跡(ひとあなふじこういせき)

24.白糸ノ滝

25.美保松原(みほのまつばら)

 

富士山では、修行や巡礼を通じて、神仏の力を獲得し、「擬死再生」を成し遂げようとする独自の文化的伝統が育まれる。

 

歴史

噴火を繰り返してきた富士山は、恐ろしくも神秘的な山として「遥拝=ご神体から離れた場所からその方角に向かい参拝する方法で、富士山の場合は山麓から山頂を仰ぎ見て参拝」の対象であった。火山活動が活発化した8世紀末、噴火を鎮めるため、「浅間呉大神(あさまのおおかみ」を神としてまつり、富士山そのものを神聖視するという独自の信仰が生まれる。

火山活動が休止期に入った11世紀後半、日本の山岳信仰と、中国伝来の密教道教が融合し誕生した修験道の修行が盛んになり、各地に修行者の拠点が築かれる。この頃になると、ご神体である富士山に登りながら祈りをささげる「登拝」も行われるようになった。登拝の起点には新たな神社が建立され、須山浅間神社や富士浅間神社へと発展。

16世紀末から17世紀にかけ、長谷川角行は、激しい修行で宗教的覚醒を獲得し、のちに「富士講」と呼ばれる富士山岳信仰の基盤になる組織を創始。18世紀後半には冨士講は一般人でも流行した。

 

過去問にチャレンジ!!

2017年7月1級問題

【問39】

「富士山」に関し、構成資産である「山宮浅間神社」の説明として正しいものはどれか

①社殿の背後に登山門があり、この神社を起点とした吉田口登山道が続いている

②境内に本殿がなく、富士山を仰ぎ見るための遥拝所がある

③『吾妻鏡』に鎌倉幕府2代将軍の源頼朝の命で武士がこの地を訪れた話が登場する

④国家鎮護の神社とされ、境内の_の森も登録されている

 

解答 答えは②

①は北口本宮富士浅間神社。1900年以上の歴史があり、やまとたけるのみことが東方への遠征の際、この地で富士山を遥拝し、「富士の神山は北方から拝せよ」とあり、祠を立てて祀ったのが始まりとされる。

③は人穴冨士講遺跡。長谷川角行が、苦行を行い、入滅したされる風穴。

④は富士山本宮浅間大社浅間神社総本宮

 

2016年7月1級問題

【問72】

「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉ー」に関する、次の文中の空欄に当てはまる語句として、正しいものはどれか。

富士山では古くより、山頂や山城、山麓での修行や巡礼を通じて、神仏の霊力を獲得し、「(  )」を成しとげようとする独自の文化的伝統が育まれてきた。

①擬死再生  ②歴却成仏  ③輪廻転生  ④即身仏

 

解答 答えは①

③は死んで新しい生命に生まれ変わることを指す言葉。

 

2016年12月1級問題

【問86】

「富士山」に関し、鎌倉幕府2代将軍源頼家の命で「人穴冨士講遺跡」の洞内を探検した武士の霊的体験の話が登場する書物として、正しいものはどれか。

釈日本紀  ②吾妻鏡  ③愚管抄  ④本朝世紀

 

解答 答えは②

①はしゃくにほんぎと呼び、鎌倉時代末期の日本書記の注釈書。

③はぐかんしょうと呼び、鎌倉時代初期、作者は天台宗僧侶の慈円神武天皇(初代)から順徳天皇(84代)までの歴史を、末法思想と道理の理念とに基づいて述べたもの。

④はほんちょうせいきと呼び、平安時代末期の著書。鳥羽上皇の命により、信西が編纂。

 

宿泊

富士山温泉 別墅然然(べっしょささ)

客室は全部で17室、全ての部屋から富士山が一望。専用風呂もあり、ゆっくり富士山を見ながら入るのは至福の時間ですね。行ってみたい。

 

 

 

 

日光の社寺

登録年 1999年  登録基準(ⅰ)(ⅳ)(ⅵ)  文化遺産

栃木県

 

 

登録基準

⚫登録基準(ⅰ)

2社1寺のそれぞれの建造物は、天才的な芸術家の作品である。

⚫登録基準(ⅳ)

権限造り様式が用いられ、後の霊廟建築や神社建築の規範になっている。統一感を出すための配置、彩色が取り入れられ、優れた建築景観をつくりあげている。

⚫登録基準(ⅵ)

建造物が神道や仏教の特質を表し、自然環境と一体に作られる景観は、独自の神道思想と密接に関連する。

 

構成遺産

東照宮二荒山神社輪王寺(りんのうじ)の2社1寺に属する103の建造物

東照宮

1616年に創建された徳川家康の霊廟。本殿と拝殿の間を石の間で結ぶ東照宮本社にみられる様式は「権現造り」の完成形といわれる。

 

東照宮にまつわる豆知識

①逆柱(さかさばしら)

陽明門は有名で1636年に建造された東照宮を代表する建造物。建物全体が装飾彫刻や文様で埋め尽くされる。1本だけ彫刻の模様が逆になっている「逆柱」には、「建物は完成と同時に崩壊がはじまる」という伝承に基づいて、わざと未完にすることで災いを避けるという意味が込められている。

穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)と逆柱 - other side

穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)と逆柱 - other side

陽明門には12本の柱があり、グリ紋という模様で装飾されていますが、1つだけ画像の右側のように向きが反対になっている。

 

②三猿の意味

神厩舎(しんきゅうしゃ)に「みざる、きかざる、いわざる」の画があります。

全部で8面で構成されている内の2画目だそう。

1~8画の猿の画を通して人生の生き方について描かれているそうです。その内の2画目が有名な3匹の子ザルの画です。

神厩舎に施されているのは古来、猿が馬の病気を治す守り神とされてきたためという。

 

1画目は「母子の猿」。手をかざし遠くを望む母を子が見上げる。子供の幸せを願う母の姿。

http://homer.pro.tok2.com/20100606tousyouguusinnkyuusya2.jpg

2画目の「三猿」は、幼少期がテーマで「物心がつく時期は、悪いことを見たり、聞いたり、話したりせず、純粋な心のまま成長せよ」という教えを表す。

 その後(3画目)は、じっくり座って将来を考える「独り立ち前」

天を仰ぎ見て志を高く持つ「青年期」

崖っぷちに遭遇して真下を覗きこむ猿と慰める猿を描いた「人生の曲がり角」

以上のここまでが厩舎の北側に位置し、実際に角を曲がって西側に移動すると、新たな人生が開ける。

恋愛中で物思いにふける「恋わずらい」を経て、

ついに「結婚」。2匹の前に荒波が彫られ、「力を合わせれば、困難も乗り越えられる」との教訓を示す。

「妊娠した猿」が最後にくる。

参考画像

http://homer.pro.tok2.com/20100606tousyouguusinnkyuusya9.jpg

子が生まれると最初に戻り、また新たな人生が始まる。

 

日光東照宮と江戸との位置関係

東照宮に家康の霊廟があるのは有名ですが、なぜ日光だったのか。これもまた諸説あるようですが、有名なのは陰陽道の影響。日光東照宮は北斗七星の配置にデザインされているといわれ、主要な建物を線で結ぶと北斗七星の寸分と同じように造られているそう。さらに、鳥居、陽明門、唐門、本殿を結ぶ延長線上に北極星がくるように設計。その線の真南に行くと、江戸があるといわれている。この江戸を起点とし、日光、北極星までのラインを「北辰の道」と呼ばれる。

古代中国では、北極星は宇宙全体の神だといわれていて、日光東照宮を拝することは北極星を拝することと同じ。家康を神格化し、宇宙全体の神と一体化し、北から江戸を見守っているというなんとも壮大な構図になっている。

 

徳川家康はなぜ日光を選んだのか。

③でも述べたが、日光を選んだのは諸説あるとされる。遺言や手本にしていた人物の影響もあったのかもしれない。

徳川家康1616年4月17日に駿府(すんぷ)城で亡くなったされる。胃がんであったという。年齢は75歳。当時としてはとても長生きの部類ですね。現在の男性の平均寿命とさほど変わらないです。藤枝で鷹狩りを楽しんでいた時に激しい胃痛に襲われ、床に伏せたという。亡くなる半月前、側近の天海ら3人を呼び「遺体は駿河久能山に葬り、葬儀を江戸の増上寺で行い、三河大樹寺に位牌を納め、1周忌が過ぎてから、下野の日光山に小さき堂を建てて勧請せよ」と指示し、「(日光に祀れば八州の鎮守になるだろう」と遺言したとされる。

遺言にある久能山駿府城から南東8キロと近く、江戸の増上寺は徳川の、大樹寺は父祖松平家菩提寺だった。しかし日光は訪れたこともない遠隔地。家康は吾妻鏡鎌倉幕府の歴史をつづった)を愛読するなど源頼朝を手本にしていたとされる。頼朝が崇敬した二荒神を意識していたのかもしれない。

 

二荒山神社

日光連山の主峰、日光三山(男体山、女峰山、太郎山)を神体として祀る神社。

祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(とごりひめのみこと)、味すき高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)。

(1)大己貴命大国主命オオクニヌシノミコト)の青年期の名。

(2)田心姫命はアマテラスとスナノヲの誓約で生まれた宗像三女神の一神。宗像三女神海上交通の神として有名。

(3)味すき高彦根命は大己貴命大国主命)の子供。

 

日光において山岳信仰が隆盛期を迎えた中世以降、その中心となり、東照宮の造営に伴い、1619年から本殿をはじめ社殿が造営された。23棟が重要文化財に指定。

 

輪王寺

766年に勝道上人が創建した「四本龍寺」が起源。

 

歴史

勝道上人(しょうどうしょうにん)が、2年後に寺院を建立し日光山を開山。その後、神道と仏教が融合した山岳信仰の聖地として発展。

しかし、戦国時代には大名間の争いの影響で信仰は衰退。豊臣秀吉が大部分の領地を没収し、荒廃した。

江戸時代に僧の天海が再興し、建造物の修繕を行う。1616年徳川家康が病没し、遺体が日光に葬られ、1617年に霊廟である「東照社(=1645年に東照宮に改称)」が造営。1634年に「寛永の大造替(だいぞうたい)」と呼ばれる大改修で、権現造りとなる。

 

過去問にチャレンジ!!

2017年7月1級問題【問82】

日光の社寺に関し、東照宮本社と輪王寺大ゆう院において用いられている権現造りの違いとして、正しいものはどれか。

輪王寺大ゆう院では、拝殿から「石の間」、本殿へと、屋根が高くなっている

輪王寺大ゆう院では、本殿と拝殿の間に石造りの「石の間」がある

東照宮本社では、本殿と拝殿の間に一段低い「相の間」がある

東照宮本社では、本殿の床が拝殿よりも高くなっている

 

解答 答えは④

権現造りとは横長の拝殿と本殿の間を石の間でつなぎ一棟の建物とする。

東照宮本社では、山の斜面を活かし、一番奥に位置する本殿の床を拝殿より高くする造りになっている。一方、輪王寺大ゆう院では石の間を「相の間」と称し、拝殿と相の間の高さは同じいなっている。

 

 

2017年12月1級問題【問44】

日光の社寺に関し、室町時代を中心に山岳信仰の聖地として栄えた日光山が戦国時代に荒廃した原因のひとつとして、正しいものはどれか。

①勝道上人が他界し弟子たちが日光山を去ったため

豊臣秀吉によって大部分の領地が没収されたため

③大地震により二荒山神社輪王寺の主要な建造物が崩壊したため

織田信長と対立し焼き討ちにあったため

 

解答 答えは②

昔から山岳信仰の聖地として発展。

鎌倉時代→日光は関東の鎮護となった源頼朝をはじめ歴代将軍から崇敬を集め、宗教活動は活発。

室町時代日光修験(日光山で行われる修験道)も最盛期。

戦国時代→各地の大名間の勢力争いは日光にも及ぶ。その混乱で信仰も次第に衰退。1590年に豊臣秀吉によって大部分の領地が没収され、山中の建造物が著しく荒廃。

江戸時代→家康の側近であった僧の天海が日光山の再興。

 

2016年7月1級問題【問73】

日光の社寺などにおいて見られる「仏や菩薩が神に姿を変えて現れる」という神仏習合の意味となる考え方として、正しいものはどれか。

①因中有果説

②本地垂じゃく説

涅槃寂静

④常楽我浄説

 

解答 答えは②

①は数学用語で原因の中にすでに結果の中にすでに性があるという説。

③は仏教用語で煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静かな悟りの境地(寂静)であるという説。

④は仏教用語で涅槃や如来に備わっている4種の徳をいう。

 

 

2016年12月1級問題【問47】

日光の社寺の構成資産「二荒山神社」の祭神として正しくないのはどれか

大己貴命 ②市杵島姫命 ③田心姫命 ④味すき高彦根

 

解答 答えは②

市杵島姫命イチキシマヒメ)は宗像三女神の一柱。二荒山神社には祀られていない。

 

宿泊、アクセス

栃木県という事で、新幹線や特急など多くのアクセスがあり、比較的日帰りでもめぐることができそう。

しかし、もし泊まってゆっくり日光を巡るとすれば「奥の院 ほてるとく川」に泊まってみたい。美しい日本庭園や創作料理などホテルの部屋数も22と静かな時の流れを満喫することができそう。

 

 

 

 

富岡製糸場と絹産業遺跡群

登録年 2014年  登録基準(ⅱ)(ⅳ)  文化遺産

群馬県

 

登録基準

⚫登録基準(ⅱ)

養蚕技術がフランスから明治初期に完全な形で移転されたことを示す遺産。富岡はその拠点となり、20世紀初頭ね世界の生糸市場における日本の役割を証明した。

⚫登録基準(ⅳ)

19世紀後半の大きな建築物群は、木骨レンガ造と和洋折衷という日本特有の建築様式の出現を示した事例。

 

構成遺産

富岡製糸場、田島弥平(やへい)旧宅、高山社跡、荒船風穴の4資産

富岡製糸場

1872年に明治政府が設立した官営の器械製糸場。和洋折衷の木造レンガ造である繭倉庫や操糸場などがほぼ当時の姿のまま残っている。

しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ

しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ

富岡製糸場・繰糸工場内部 写真素材 [ 2834658 ] - フォトライブラリー ...

富岡製糸場・繰糸工場内部 写真素材 [ 2834658 ] - フォトライブラリー photolibrary

上の画像のように外観はおしゃれなレンガ造りになっており、内部は木造で構成されている。

田島弥平旧宅

通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を確立した田島弥平によって建設された瓦葺きの総2階建て。

田島弥平旧宅|富岡製糸場と絹産業遺産群 |世界遺産オンラインガイド

田島弥平旧宅|富岡製糸場と絹産業遺産群 |世界遺産オンラインガイド

●高山社跡

通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立した高山長五郎の生家。

群馬県藤岡市|高山社跡

群馬県藤岡市|高山社跡

 

高温田涼(高温多湿をもじって)で覚えよう!!

 

●荒船風穴

1905年に建設された、岩の隙間から吹き出す冷風を利用した国内最大規模の蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設。冷蔵技術を活かして、当時は年1回だった養蚕を複数回可能にし、繭の大幅な増産に貢献。

16/10/30]荒船風穴・1~3号風穴

[16/10/30]荒船風穴・1〜3号風穴

 

歴史

明治維新後、富国強兵・殖産興業に重点を置き、主要輸出品の1つを生糸とした。

従来の技術では大量生産は難しく、新たな技術を導入するためにフランスから技術移転を図る。招聘されたのが、ポール・ブリュナである。伝統的に養蚕が盛んで土地が広く、水も豊富に確保できる富岡が選ばれた。

 1872年に操業を開始し、多くの工女が働き、学んだ技術を日本各地に広めていった。1893年に三井家に払い下げられ、官営工場としての歴史は幕を閉じ、民間として事業を継続したが、その後は化学繊維などの普及により、生糸の需要は減少、1987年に操業停止となった。

 

過去問にチャレンジ!!

 

2017年7月1級問題【問86】

富岡製糸場と絹産業遺跡群の遺産価値の説明として正しいものはどれか。

①産業としての養蚕技術がイタリアから完全な形で移転されたことを示している点

②20世紀初頭の世界の生糸市場における日本の役割を証明するモデルとなっている点

③伝統的な養蚕技術とは全く異なる技術に置き換える日本の柔軟性を示している点

④日本各地から鉄を持ち寄り日本初の鉄骨造りの工場を完成させた点

 

解答 答えは②

①はイタリアではなく、フランスが正解。技術を伝承したポール・ブリュナはフランスからきたね。ブリュナはフランスのリヨン近郊で生まれ、リヨンの生糸問屋で製糸技術を身につけた。そのリヨンはBC100にローマ人によって開かれた歴史都市。1436年にフランス国王ルイ11世が、自由市をリヨンに与え、フランソワ1世がイタリアから絹を導入したことがきっかけで、絹織物工業が急速に発展。

つまり、イタリア→フランス→日本という順番なんだね。

リヨンの歴史地区」も世界遺産に登録されているよ。

 

③全く違う技術に置き換えたのではなく、品質向上と大量生産が課題だったために新たな技術を取り入れたんだね。

 

④完全な鉄骨ではなく、木骨レンガ造りという和洋折衷な造りがポイント。

 

2017年12月1級問題【問78】

富岡製糸場と絹産業遺跡群に含まれる「荒船風穴」の説明として正しいものはどれか。

①ポール・ブリュナの指導により国内最古の鉄水槽が設置された

1893年に三井家に払い下げられ官営施設としての役割を終えた

富岡製糸場の地下に設置された蚕種の貯蔵施設であった

④年1回であった養蚕を複数回可能にし、繭の大幅な増産に貢献した

 

解答 答えは④

 

 

2016年7月1級問題【問71】

富岡製糸場と絹産業遺跡群に関する、次の文中の空欄(A)、(B)に当てはまる語句として、正しいものはどれか。

富岡製糸場周辺では、良質な繭を確保するための改良運動が起こり、蚕の飼育法が考案された。養蚕農家の田島弥平は(A)を、教育機関の高山社を設立した高山長五郎は(B)を確立した。

①A.清涼育ーB.清温育

②A.清涼育ーB.清水育

③A.清風育ーB.清温育

④A.清風育ーB.清水育

 

解答 答えは①

高温田涼(高温多湿をもじって)と覚えよう!!と説明したね。

 

 

2016年12月1級問題【問28】

富岡製糸場と絹産業遺跡群の田島弥平旧宅でみられる換気のための独特な構造として、正しいものはどれか

①布石

②越し屋根

③根太

④引き違い扉

 

解答 答えは②

田島弥平宅旧宅は通風を重視。換気のための「越し屋根」を備えた構造は、のちに近代養蚕農家の原型に。

入り母屋から越屋根まで。屋根の種類とそれぞれの特徴 | homifyの画像

出っ張っている屋根の部分を越し屋根という。通風や採光に有効。

 

アクセス

travel.navitime.com

 

宿泊

磯部温泉 舌切り雀のお宿 磯部ガーデン

童話「舌切り雀」が生まれたお宿だそうで、毎日上演(10分ほど)も数回行っているそう。

この磯部温泉は古くから中山道を往来する旅人に親しまれてきた温泉地だそう。

また、♨のマークで温泉地とすぐに分かりますが、このマークの発祥の地だそう。

富岡製糸場へのアクセスもよく、富岡製糸場の入場チケット付のプランなどもあるので、是非利用してみたいです。

 

参考文献

世界遺産大事典<下>第2版

 

 

 

 

 

 

 

白神山地

登録年:1993年  登録基準(ⅸ)  自然遺産

青森県秋田県

 

登録基準

●登録基準(ⅸ)

日本固有種のブナが純林をなし、原始性の高い状態で分布している、ほかに例をみない地域。同じようにブナの純林があるのは、ヨーロッパだけ。しかし日本のブナ林の植物相の多様性はヨーロッパの5~6倍(白神山地では500種以上の植物)。

※ヨーロッパの「カルパティナ山脈と他のヨーロッパ地域のブナ原生林」が世界遺産に登録されている。12か国にまたがる遺産となっており、現存するヨーロッパブナの原生林としては世界最大。

 

遺産価値

青森と秋田にまたがる標高100mから1,243mに及ぶ山岳地帯の総称を白神山地と呼ぶ。総面積1,300㎢のうち、登録範囲は169.71㎢である。その大部分を占めているのが人の手が入っていない原生的なブナ林である。日本では照葉樹林と並ぶ代表的な極相林(=植物群落としての成長が進み、全体としての植物の種類や構造が大きく変化しなくなった森林)であるブナ林だが、ほとんどの地域では薪材などとして伐採が進んだが、白神山地は集落から遠く、地形が急峻だったなどの条件が重なり、長い歴史でほとんど伐採が行われなかった。白神山地は動物たちのサンクチュアリとも呼ばれる。

●地層と地形

地質は第三紀層で一部に古生層や花崗岩が露出。30度以上の急傾斜地が半分以上。現在の白神山地が広がる地域は、約259万年前まで一部が海中。その後、年間1.3㎜という日本列島のなかでも極めて早いペースでの土地の隆起が始まり、今でも続いている。隆起した地層の上層は海底時代の堆積岩で覆われており、崩れやすい特徴がある。さらに、日本でも有数の豪雪地帯で崩れやすい地層に大量の水分を含み、頻繁に地滑りが起こる。それが数多くの川や谷の形成につながり、山地の崩落を起こし、地形を複雑にした。

 

遺産の概要

●世界有数のブナ原生林

ブナ属の森林は日本以外に、ヨーロッパ、北アメリカ、中国、コーカサス山脈、台湾などにも分布。ブナの純林は、ヨーロッパにもあるが、薪炭の採集や放牧が行われ、植生は極めて単純。日本のブナの分布地域は氷河期でも氷河に覆われることなく、氷河後の回復も早かった。8000年前くらいには現在の分布地域になっていたと考えられている。

 

●植物相

ブナ以外にも豊かな植物相で秋田側で412種、青森側で506種の植物が確認。アオモリマンテマ(固有種)をはじめ、ツガルミセバヤ(準固有種)、ミツモリミミナグサ(準固有種)などの希少植物も含まれる。過去の氷期に氷河に覆われなかったため種の保存や移動、発達が進んだ地帯である「日華植物区系」に属する植物が大部分を占める。

 

●動物相

豊かな植生を背景に、大型哺乳類、鳥類、昆虫などが数多く生息。中型哺乳類では、多雪地帯では生息できないニホンジカやイノシシ以外は全て生息しているとされ、これまでに特別天然記念物ニホンカモシカをはじめとした14種が確認。鳥類84種、天然記念物のクマゲライヌワシも含まれる。そのほか爬虫類7種、両生類9種、昆虫2,212種の生息が確認。

 

過去問にチャレンジ!!

2017年7月1級問題 【問71】

白神山地」で見られる植物として正しくないのは

①トガクシショウマ

シラネアオイ

③メヒル

④リシリシノブ

 

 

解答 答えは③

①はメギ科の植物でトガクシソウ(戸隠草)の別名でトガクシショウマ(戸隠升麻)。日本固有種で本州の中部、北部に分布し、多雪地帯の、落葉広葉樹林に生育。

キンポウゲ科の植物でシラネアオイ(白根葵)。北海道から本州中北部の日本海にかけての山地帯と亜高山帯のやや湿り気のあるところに分布。

③はヒルギ科の植物でメヒルギ(雌蛭(漂)木)。潮間帯に生育する、マングローブ樹種のひとつで別名リュウキュウコウガイ(琉球笄)。日本では沖縄及び鹿児島に自然分布、静岡県の一部に植樹された群落が分布。日本が分布の北限。

④はホウライシダ科の落葉シダで、リシリシノブ(利尻忍)は北海道から本州、アジアの高山帯。

 

2017年12月1級問題【問46】

白神山地』でブナの天然林が残された理由のひとつとして正しいものはどれか。

①地形が急峻で山に入りにくかったため

②聖山として人々が山に入ることを禁じていたため

天領として入山には高い課税が課せられたため

④国鳥の生息域として保護されてきたため

 

解答 答えは①

 

2016年7月1級問題【問17】

白神山地』のブナの特徴である「極相林」の説明として正しいものはどれか

①植物群落としての成長が進み、全体としての植物の種類や構造が大きく変化しなくなった森林

②孤立した環境により、生態系バランスの偏った極端な植物相が見られる森林

③特定の樹木のみを保護するため、その他の植物を伐採して多様性を排除した森林

④氷河期以降の気候が安定したため、多様な植物が群生し常に変化を続ける森林

 

解答 答えは①

 

2016年12月1級問題【問84】

世界各地のブナの原生林は氷河期に大きく減少したが、『白神山地』のブナの原生林は残された。その理由として考えられるものとして、正しいものはどれか

①最終氷期の最寒冷期においても日本のブナの分布地域は氷河に覆われることがなかったため

②日本の東北地域は暖流が流れており、ヨーロッパを襲った最終氷期を免れたため

③ブナに寄生するツガルミセバヤやオガタチイチゴツナギなどが、氷河に覆われたブナの根を守ったため

白神山地の地滑りによって地中深くブナの種子が隠されており、最寒冷地においても気候の影響を受けなかったため

 

解答 答えは①

 

ブナ林散策道(バッファーゾーン)

⚫アクアグリーンビレッジANMON

↓ 徒歩10分

⚫ブナ原生林の湧水

↓ 徒歩5分

⚫小回りコースの案内板

↓ 徒歩15分

⚫大回りコース分岐

↓ 徒歩5分

⚫大きなブナの木の広場

↓ 徒歩10分

⚫山ブドウのつる

↓ 徒歩5分

⚫広場・ブナ林の説明板

↓ 徒歩15分

⚫大回りコース分岐

↓ 徒歩10分

⚫ブナ原生林の湧水

↓ 徒歩10分

⚫ANMON

アクアグリーンビレッジANMONは観光案内所。

 

 

アクセス

●鉄道

東京駅から新幹線(はやぶさ)で3時間半ほどで新青森駅。JR奥羽本線で30分ほどで弘前駅に到着。

●飛行機

羽田空港から1時間15分で青森空港。弘南バスで55分で弘前バスターミナルへ。

 

JR弘前駅から弘南バス田代経由大秋・川原平方面行きで55分、田代(西目黒村役場前)下車、シャトルバスに乗り換え40分、アクアグリーンビレッジANMON 下車、徒歩すぐ。

弘前バスターミナルから1日2便、ANMON行きシャトルバスあり。1時間30分。

 

宿泊

黒石温泉郷落合温泉 花禅の庄(かぜんのしょう)は全館畳敷きという足元からリラックスできそうな雰囲気。落合温泉は単純泉でリウマチや神経痛に効果。白神山地を散策した後でゆっくり空間は最高ですね。是非とも行ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

平泉 ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー

金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗 ...

金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]

登録年:2011年 登録基準(ⅱ)(ⅵ) 文化遺産

岩手県

登録基準

 

●登録基準(ⅱ)

日本には古来から自然崇拝(神道)の考えがありました。要は万物には神が宿る考えです。6世紀になると仏教が伝来し、融合しながら独自に発展。その時、一緒に伝来した伽藍建築と日本古来の水景と融合し、発展し広がる過程が証明できるとして登録。

 

●登録基準(ⅵ)

浄土思想は、12世紀における日本人の死生観の形成に重要な役割を果たした。宗教儀礼、民族芸能といった分野において今も継承されている。

 

構成遺産

 

中尊寺毛越寺(もうつうじ)、観自在王院跡、無量光院跡の4つの寺院と金鶏山

中尊寺

世界遺産・平泉で古寺巡礼。中尊寺、毛越寺で奥州の文化を体感!│観光 ...

世界遺産・平泉で古寺巡礼。中尊寺、毛越寺で奥州の文化を体感!│観光・旅行ガイド - ぐるたび

850年、天台宗の僧、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)の創建と伝わる。

その250年ほど後、奥州藤原の初代清衡が前九年、後三年の合戦で亡くなった人々の霊を慰めるため、堂塔を建設。多くの堂塔はその後の火災で焼失。火災を免れた金色堂や3000点以上の国宝や重要文化財が現在も残される。

毛越寺

平泉が誇る名刹の庭園はこの世に降臨した仏の国 | 今日の絶景

平泉が誇る名刹の庭園はこの世に降臨した仏の国 | 今日の絶景

850年、中尊寺と同じく慈覚大師円仁の創建と伝わる。2代基衡が造営。最盛期には堂塔40、僧房500を数える規模を誇る。しかし、度重なる火災で大部分が焼失。大泉が池を中心とする浄土庭園は、今なお境内中央に広がり、当時の面影を偲ばせる。

観自在王院

観自在王院跡|THE GATE|日本の旅行観光マガジン・観光旅行情報掲載

観自在王院跡|THE GATE|日本の旅行観光マガジン・観光旅行情報掲載

基衡の妻によって建立。大小の阿弥陀堂が林立していた庭園は、園池を中心とする浄土庭園で、背後の金鶏山と一体となった景観によって阿弥陀如来の極楽浄土を表現。

無量光院跡

無量光院跡 | ニッポン旅マガジン

無量光院跡 | ニッポン旅マガジン

3代秀衡が建立。金鶏山の東に位置し、さらにその東には居館の遺跡である柳之御所遺跡がある。阿弥陀堂は、平等院鳳凰堂をモデルとしていた。

金鶏山

平泉中心部の西に位置する標高98.6mの小丘。中心部からも目視できる位置にあり、古くから方位を示す目印とされ、居館を築く際に位置関係が重視された。

 

歴史

 

平泉は奥州藤原氏によって繁栄した。

(1)初代藤原清衡(きよひら)33年在位

11世紀末、陸奥出羽国を統治していた。平泉を拠点と考えた。当時、平泉では金が産出されており、中央政権とも結びついていた。その財をもとに仏国土の実現を目指す。

1105年中尊寺を造営。1124年には境内に金色堂を建立。

(2)2代藤原基衡(もとひら)33年在位

毛越寺の再興。死後には、妻によって観自在王院も建立。夫婦だから隣あった場所に建立されたと考えると覚えやすい。また、西のかなたに浄土があるという西方浄土の考え方もあり、夫を敬い、遠慮し東側のすぐそばに寄り添うな形で建立したのかなと想像してしまいます。

(3)3代藤原秀衡(ひでひら)33年在位

阿弥陀如来の極楽浄土を表現する無量光院を造営。阿弥陀堂は、宇治の平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)をモデルにしている。年に2回、仏堂背後の金鶏山山頂に夕日が落ち建物が光り輝くように計算されている。

(4)4代藤原泰衡(やすひら)1年在位

1187年源義経が兄の討伐を逃れ秀衡のもとに身を寄せるが1189年、泰衡は、頼朝の力を恐れ、義経を襲撃し自害へ追い込む。しかし、結局同年に頼朝に侵攻され奥州藤原は滅亡。

1から3代が33年在位し、4代と合わせちょうど100年で覚えやすいです。

 

過去問にチャレンジ!!

 世界遺産検定 公式過去問題集 

2017年7月1級問題【問81】

「平泉」にある「金色堂」の説明として正しいものはどれか。

金鶏山と一体となった景観によって阿弥陀如来の極楽浄土を表現している

藤原清衡が築いた後、基衡が金箔を貼る改築を加え現在の姿になった

③方三間の仏堂建築は同形式の阿弥陀堂建築の中では国内最古のものである

④創建当時の金色堂は焼失したため室町時代に再建された

 

解答 答えは③

①は観自在王院跡のことだよ。2代基衡の妻が建立。背後の金鶏山と一体となった景観で阿弥陀如来の極楽浄土を表現していた。

④は中尊寺も1337年に火災が発生したけど、金色堂と一部の経蔵は無事だったよ。

 

2017年12月1級問題【問81】

平泉の構成遺産に関する説明として正しいものは

金鶏山よりも南にある構成遺産は中尊寺のみである。

観自在王院毛越寺は、共に3代の藤原秀衡の時代に創建された。

無量光院跡金鶏山の東に築かれた寺院の跡で、その東には居館の遺跡である柳之御所遺跡がある。

中尊寺金色堂は、一辺が三間の寸法をもつ「方三間」と呼ばれる仏堂建築である。

 

解答 答えは③

①は南ではなくて、北にある構成遺産を指しているね。

②は共に2代の基衡とその妻が建てたものだね。

④方三間が日本建築の1つで、正方形の1辺に柱が4つ、その間が3つある(3間)ということで、寸法の間(けん)とは異なる。

 

2016年7月1級問題【問55】

「平泉」の構成資産である毛越寺の説明として正しいものはどれか

奥州藤原氏3代秀衡の時代に平泉館の北西に築かれた。

②13世紀中ごろに慈覚大師円仁が2代基衡の下で開基した。

③北東側に設けられた遣水(やりみず)は、平安時代の遺構としては日本唯一である。

④堂宇と周囲の景観で阿弥陀如来の東方浄土を表している。

 

解答 答えは③

①の平泉館(ひらいずみのたち)は柳之御所遺跡のことを指し、奥州藤原氏時代の政庁のこと。地理的には無量光院跡の東にあるので、毛越寺からみても東に位置する。この柳之御所遺跡も推薦当初は含まれていたが、決定時には除外とされた。

毛越寺の建立は慈覚大師円仁だけど、基衡とは生きている時代が違うよ。

④周囲の景観と阿弥陀如来を表現していたのは観自在王院だよ。

 

2016年12月1級問題【問50】

「平泉」において12世紀末に広がった「末法思想」の説明として、正しいものはどれか

①釈迦の死後1,000年を経て世界が終末を迎えた後、新たな指導者に導かれて浄土が築かれるという考え方

②釈迦の説いた正しい教えが時代とともに正しく伝えられなくなり、最後には教えが全く守られない時代が来るという考え方

③釈迦の説いた教えが人々の間に行き渡り、仏法の最終段階に至るという考え方

④浄土に行く人数には上限があり、政治や経済が不安定な現在(12世紀末)はその人数が上限に達しつつあるという考え方

 

解答 答えは②

 

アクセス、モデルコース

東京駅から新幹線(はやて・やまびこ)で一関駅で乗り換え普通電車で平泉駅へ《所要時間約3時間2分》

●JR平泉駅

↓ バス3分

毛越寺 【8時30分~17時 拝観料500円】

↓ 徒歩2分

観自在王院跡 【見学自由】

↓ バス4分

●平泉文化遺産センター 【9時~17時 入館は~16時30分 見学無料】

↓ バス3分

中尊寺 【8時30分~17時 拝観料800円】

↓ バス4分

●高館義経堂 【8時30分~16時30分 拝観料200円】源義経終焉の地

↓ バス2分

無量光院跡 【見学自由】

↓ バス4分

●JR平泉駅

<便利な乗り物>

巡回バス「るんるん」9時45分~16時15分運行。1日乗車券400円(1回は150円)

 

 

 

宿泊

「~世界遺産の隠れ宿~果実の森」は檜の内風呂もあって畳の和室もあって素敵ですね。37の全ての客室にあるそうです。食事も地産地消。家族でのんびり行ってみたいです。

 

参考文献

世界遺産大事典<上>

世界遺産検定 公式過去問題集 2018年度版

●公式問題集 2017年度版

●楽楽東北