ダイナソール州立公園 2023.5.7(日)


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登録年:1979年  登録基準:(ⅶ)(ⅷ)

アメリ

 

カナディアン・ロッキーの南東に位置する公園でバッドランド(樹木の生えない荒れた[悪地]という意味)と呼ばれる乾燥した原野が広がる国立公園で、世界遺産には約78㎢が登録されている。

この一帯は、現在は乾燥した原野だが、7,500年前は亜熱帯気候にあり、辺り一面に緑が生い茂りヤシの木や巨大なシダが生えていた。

氷河期の浸食によって地層が削り取られ、7,500年前の白亜紀後期の地層が地表に現れており、そこから恐竜の化石が多数出土されている。

1884年に考古学者のジョセフ・バール・ティレルによって肉食恐竜の頭蓋骨が発掘されたのを皮切りに、アルバートサウルス、トリケラトプスティラノサウルスなど50種400を超える恐竜の化石、150体を超える完全な恐竜の骨格が発見された。

世界で知られている恐竜の5%がここから発掘され、今後もその数は増えると考えられている。

 

マチュ・ピチュ 2023.4.30(日)


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マチュピチュについては昨年にも詳しくブログで掲載させてもらったので、興味のある方はこちらへ

 

sekaiisann.hatenadiary.com

 

マチュピチュを拠点に4万kmものアンデスの道があるそうで、今のその名残はあちこちに残っている。そして、アンデスの道を使って何を運んでいたのかといえば「塩」なのである。マラスの塩田からとれる塩は上質なものであった。

世界遺産を学んでいると世界各地に【塩】に関する世界遺産が非常に多いと感じる。

特に今回のアンデスのような山岳地帯も然り、海から離れた所では特に塩の価値が高まる。ヨーロッパの方でも税金として塩が納められたくらいである。塩は人間の体を構成するために重要なミネラルである。

 

マチュピチュに行くには、ペルーのクスコまで飛行機を乗り継いで、クスコから電車で3時間ほど、マチュピチュ村からバスで遺跡に向かう。日本の地方都市から向かうにはどれくらいの時間とお金を要するんだと感じてしまうのは庶民の感覚ですよね。

でももし、時間とお金の制限がなければ、マチュピチュはTOP5には入るくらいの行きたい世界遺産ですね。

ケベック旧市街の歴史地区 2023.4.23(日)

 


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登録年:1985年  登録基準:(ⅳ)(ⅵ)

カナダ

 

中学校か高校生の頃、社会でケベックって1回は耳にしたことがある。カナダなのにフランス語が公用語。そんな昔の記憶もある。

今回放送された世界遺産ではそのケベックの旧市街が舞台。

 

カナダ東部のケベックは、フランスの植民地の拠点として1608年にサミュエル・ド・シャンプランが砦を築いたことに始まる北米唯一の城塞都市。

フランス人の探検家がセントローレンス川を北上していた。先住民の言葉で【川幅が狭まる所】を意味するケベックに植民地の建設が始まった。

ダイアモンド岬と呼ばれる崖の上にはアッパー・タウン(上の街)が築かれ、行政と宗教の中心地。崖下はロウアー・タウンと呼ばれ商業や住居、海軍施設などがあり、ケベックで最も古い地区も残る。ロワイアル広場あ発祥の地とされる。

入植したフランス人は生息していたビーバーに着目し、ビーバーの毛皮による毛皮貿易で富を得た。

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今でいうシルクハット。とてもおしゃれで西洋の方が身に着けているが、シルクハットは名前の通りシルク(絹)だが、その帽子が作られた当初はビーバーの毛皮が使われており、トップハットと呼ばれていた。

 

当時、イギリスとフランスは北米の植民地建設を巡り争っていた。ケベックはフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス(新しいフランス」の要塞として建設。イギリス人が狙っていたこともあって崖上のアッパータウンは崖にそって城壁が築かれている。

その後、1759年ケベックが陥落し、イギリス領となったが、フランス文化の香りは色濃く残った。1774年にケベック法が制定され、フランスの民放の効力、信仰の自由、そしてフランス語の使用が認められている。

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そして、イギリスの植民地支配から独立しようとしていたアメリカ。1775年から独立戦争が始まるが、そうした歴史もあってケベックのアッパータウンにも、イギリス人が建設した星形要塞「ラ・シダテル」が残る。

カナダの先住民から見れば、植民地とされたフランス人にも不満がありそうなものですが、文化や経済を発展させ、富をもたらしたフランス文化には感謝していたのかもしれません。街には「JE ME SOUVIENS(ジュ ム スヴィアン)」という文字もあり「私は忘れない」という意味だそう。イギリスの支配下においてもフランスの文化を忘れないという思いだったのでしょう。

 

街の1つ1つを見ても、歴史的な背景を知ることができて、カナダのケベック公用語はフランス語というただの暗記ではなくて、植民地時代のこと、アメリカの独立やなど色んな事柄を交えて知ることでもっと社会が歴史が地理が面白くなると思います。

 

世界遺産 空から見る南イタリア 2023.4.9(日)


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4月9日放送の世界遺産は前回の続き。今回はローマより南のイタリア。

ローマは言わずと知れたローマ帝国の中心地。カトリックの聖地でもあります。

ローマは2000年前、世界の中心になり、地中海を支配しました。

 

今回はそのローマの歴史地区をはじめ、ローマより古い文明と言われるローマ近郊にあるエトルリアの古代遺跡群、エオリエ諸島(ストロンボリ火山など)やエトナ山の活火山、ナポリ近郊にあるヴェスヴィオ火山など。他アマルフィ海岸なども紹介されていた。ローマといえば、温泉が大好き。そんなイメージ。映画のテルマエ・ロマエでも温泉は登場していた。イギリスに存在するバースはローマ帝国が作った街である。この町にも温泉がある。バースという名前は現代のバスの由来である。

ローマ人が繁栄を極めた頃、その体を養うのに温泉は必要で、南イタリアには紹介したように活火山がいくつも存在している。

 

世界遺産 空から見る北イタリア   2023.4.2(日)


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イタリアと言えば、世界最多の世界遺産58を有する。

世界遺産が好きな人であれば憧れる国の1つである。もちろん、私もイタリアやフランス。そのあたりの世界遺産には絶対に行きたいと思っている。

今回は北イタリア編であった。

アルプス山脈のドロミテ山塊

ヴェネチアとその潟

ピサの斜塔が有名なドゥオーモ広場

・チンクエ・テッレ

オルチャ渓谷

トリノにあるサヴォイア家の王宮

が今回放送されていました。南もいいけど、北もいいですね。ヴェネツィアは絶対に行きたい場所の1つです。現在、地盤沈下の問題もあり、美しい水の都も数十年経てばどう景観が変わるかもわかりません。早いうちに行かねばと思う場所です。

またチンクエ・テッレの景観も好きです。等間隔に山間に作られた5つの町。断崖だからこそできる農作物、美しい景観。素敵です。

 

ディレクターが泣いた絶景の世界遺産  2023.3.26(日)


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世界遺産】が放送されて27年、そして134か国もの国に訪問したのだそう。

その中でディレクターが思わず泣いた絶景。

・カナイマ国立公園のエンジェルフォールに朝陽が降り注ぐ光景(田口ディレクター)

カカドゥ国立公園の雨季の湿地に沈む夕日が鏡のような光景(小澤ディレクター)

・ゴレ島に雲の隙間から降り注いだ太陽の光(河野ディレクター)

・チチェン・イツァの聖なる泉(セノーテ)にできる年2回の光の柱(天野ディレクター)

エオリエ諸島の噴火の瞬間に偶然出会った奇跡の光景(髙城ディレクター)

ヴィエリチカ岩塩抗の普段は立ち入ることのできない7万年かけてできた巨大な塩の結晶(世良ディレクター)

ガラパゴス諸島の固有種であるガラパゴスゾウガメと念願の対面を果たす(江夏ディレクター)

・グランドキャニオンで出会ったベトナム戦争帰りのパイロットの奇跡の空撮(日下ディレクター)

・仏教の聖地であるブッタガヤ、ルンビニーで出会った世界各地の僧侶。平和を願う祈りに国境はないと感じた瞬間(河野ディレクター)

 

どの映像も素敵でした。個人的な世界遺産としてはやはりゴレ島です。世界には負の遺産というものが多く存在します。アウシュビッツ・ビルケナウや広島原爆ドームやそしてこのゴレ島。初めて世界遺産に興味を持ち、学び出した頃からなんとなく印象に残り続けている場所です。かつて社会の教科書で三角貿易というものを学びましたが、その一角を担ったのが奴隷なのです。このアフリカ大陸から多くの黒人が労働として新大陸に送り出されました。奴隷商人の家などが今も残り、奴隷の待機する部屋は狭く、暗く、そして孤島という絶望的な場所に多くの黒人が詰め込まれていました。

そんなゴレ島に降り注いだ光というの過去の方々に対する敬意もこめられているような思慮深い映像でした。

 

また、江夏ディレクターのエピソードもいいですね。子供の頃に買ってもらったガラパゴスの本、その本を読んで憧れ続けていた島、そしてガラパゴスゾウガメ。20数年たって出会える奇跡。そして出会えるチャンスがある仕事に就いた江夏さん。夢は願えば叶うというのを感じた瞬間でした。

 

ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区  2023.3.19(日)


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登録年:1997年 登録基準:(ⅲ)(ⅳ)(ⅴ)

イタリア共和国

 

イタリア南部のポンペイは、紀元79年、近郊のヴェスヴィオ山の噴火により火山灰に埋没。16世紀になって農民が偶然に発見したポンペイの遺跡は1748年から始められた発掘によって徐々に明らかになってきている。

商業都市であったポンペイには広場を中心に市場や神殿、市庁舎、野外劇場、娼館、公共浴場、給水設備などの遺構が見つかっている。外科医の家なども残る。舗装された街路に住居が並ぶ計画都市であった。

 

ナポリを岬にあるエルコラーノは、高級リゾート地であったと考えられ、ポンペイよりも優れた給水設備が発見されている。それぞれの住宅は中庭を持つなど規模も大きく、彫刻やモザイク、絵画など保存状態よく残されている。

 

トッレ・アヌンツィアータからはネロ帝の后のものと考えられるオプロンティスのヴィッラ(別荘)が発見され、ローマ帝国初期の富裕市民の贅沢な暮らしを伝える壁画やモザイクが残る。