古都奈良の文化財
登録年 1998年 登録基準(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)文化遺産
登録基準
●登録基準(ⅱ)
8世紀、中国や朝鮮半島から伝えられ、日本独自に発展した仏教建造物群は、高度な文化的、芸術的水準を有していたことを物語り、文化的交流の歴史を示す。中国や韓国では、同年代の木造建築の大部分が失われており、価値が極めて高い。
●登録基準(ⅲ)
古代都城を構成する資産群。710年から784年までの約74年間の都であり、「平城京跡」は、考古学的遺跡としての価値も高い。現在の奈良市は、平城京の中心から離れた場所で発展したため、当時のままの地下遺構が良好な状態で残っている。
●登録基準(ⅳ)
各寺院、神社からは、宗教の影響下で津令制が日本全国に定着。そして、寺院や神社の力が社会的、政治的に大きくなっていった様子がわかる。奈良時代の建築様式を留めており貴重。
●登録基準(ⅵ)
建物が神道や仏教などの宗教的空間の顕著な特徴を示す。春日山原始林は、自然の山や森を神格化しようとした日本独特の神道思想。現在でも、宗教儀式や行事が盛んに行われており、宗教文化を継承している点も重要。
構成資産
元興寺、興福寺、薬師寺、春日大社、春日山原始林、平城京跡、唐招提寺、東大寺
8資産で構成
(1)元興寺(がんごうじ)
6世紀に蘇我馬子が建立した「飛鳥寺」が起源。8世紀に平城京に移築。
蘇我馬子が建立したとされる飛鳥寺は、日本最古の寺院。かつては南都七大寺の1つで広大な寺院だったが、現在は僧坊遺構の極楽堂と禅室を残すのみ。
(2)興福寺
遷都に伴い、山階(現・京都市山科区)から飛鳥を経由し移築された669年創建の寺院を起源。710年、藤原不比等によって移築された後は、藤原氏の氏寺として、大いに繁栄。
法相宗の大本山。前身である山階寺(やまなしでら)は669年に藤原鎌足が重い病気を患った際、夫人である鏡女王が、夫の回復を祈願し造営したと伝えられ、壬申の乱(672年)の後、飛鳥に都が戻り、地名をとって「厩坂寺」と名付けられ、710年の遷都とともに興福寺に名付けられる。
日本国内の国宝の仏像の15%を興福寺が所蔵しており、まさに国宝の宝庫。その大半が国宝館に安置。その中でも人気なのは「阿修羅像」。3つの顔に6つの手といえば容易に想像がつくでしょう。幼年期、思春期、青年期の顔という事で微妙に表情も違うよう。
(3)薬師寺
680年に天武天皇によって建立。718年に藤原京から平城京に移築。「薬師寺伽藍配置」で知られる。火災や台風により、現在は東塔のみ残っている。
金堂前面の東西に白鳳文化の代表例とされる三重塔が立つのが薬師寺伽藍の特徴。
(4)春日大社
藤原氏の氏神をまつる神社。藤原氏や朝廷の崇敬を受け繁栄。平安時代後期に興福寺と一体化されたが、明治の「神仏分離令」で再び分けられた。本殿は春日造りで、春日神(たけみかづちのみこと、ふつぬしのみこと、あめのこやねのみこと、ひめがみ)と称される4柱が4棟に分かれて祀られている。
※春日造
流造に次いで普及。奈良を中心に近畿圏に多い。妻側の中央に入り口を持ち、妻側に向拝を設けている。
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(5)春日山原始林
春日大社の社殿周辺から御蓋山(三笠山)、春日山にかけては聖域とされ、841年に狩猟と伐採が禁止。以降は神山として守られてきた。山中の水源には、水神・雷神がまつられ都の守護神とされていた。
(6)平城京跡
1955年から発掘調査が始まり、建物の配置や変遷、役所名などの律令組織、行政や生活の実態が明らかになっている。
(7)唐招提寺
759年に鑑真が創建。律宗の総本山。
鑑真(688~763年)唐の揚州で生まれ、14歳で出家。遣唐使で唐を訪れていた留学僧から朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。12年間に5回の渡航を試みて失敗、、753年6回目の渡航で遂に成功。66歳。
その後、渡日してからの10年を東大寺で5年、唐招提寺で5年過ごす。
(8)東大寺
華厳宗の大本山。南大門、法華堂、鐘楼、金堂(大仏殿)、銅造蘆舎那仏坐像、開山堂、転害門、本坊経庫、正倉院正倉が国宝。
聖武天皇が建立。皇太子供養のために建立した金鐘寺が東大寺の始まり。
歴史
710年に遷都。政治、経済、文化の中心となる。
718年に元興寺、薬師寺が旧都である飛鳥藤原地方から移築される。
720年頃には興福寺の建造。
745年には、東大寺の建造。さらに745年、唐から鑑真が来日。
759年には唐招提寺の建立が始まる。
768年、春日大社の創建。
平安京に遷都した後も朝廷の保護下のもと造営工事も継続して行われる。平安時代末の1180年、内乱により、東大寺と興福寺では、伽藍の多くが焼失。室町時代入ると奈良の神社の多くは衰退。明治維新後の近代化のもと、国内の文化財軽視の風潮は奈良の建造物群にも及ぶが、その後、様々な法が制定され保護されるようになる。
過去問にチャレンジ!!!
2017年7月1級問題
【問83】
『古都奈良の文化財』に含まれる構成資産で、次の3つの説明文から推測されるものとして、正しいものはどれか。
ー極楽坊の本堂の屋根瓦には飛鳥時代の瓦も残されている
解答 答えは②
2016年7月問題
【問74】
『古都奈良の文化財』に含まれる元興寺の説明として正しくないものはどれか
①奈良時代後期には、南都(平城京)七大寺のひとつとして繁栄した
②本堂の瓦には、飛鳥時代の瓦も残る
③8世紀に飛鳥寺から移築された
④南に位置する元興寺を丘の上から見下ろすように建っている
解答 答えは④
④は興福寺のことを指している。
2016年12月1級問題
【問65】
下線部(a)「東大寺山界四至図」の説明として正しいものはどれか
③9世紀に東大寺の寺歴を描いた絵巻図
④7世紀の大仏開眼法要で奉納された、平城京の領域を描いた絵図
解答 答えは①
http://www.nara-wu.ac.jp/aic/gdb/mahoroba/y18/
宿泊
奈良 万葉若草の宿 三笠
すぐ眼下には東大寺の大仏殿を望むことができ、奈良市内も見渡せる高台にあるお宿だそう。
お得な切符があるようで、
1日コース:大人1500円(小児半額)
2日コース:大人2000円
というのがあるそうです。斑鳩といえば法隆寺があるエリアですので、2日あればしっかり見て回ることができそうですね。