ヴェネチアが築いた防衛施設群 2022.3.13


www.youtube.com

今回の放送では6つの城塞都市が紹介されました。

世界遺産

ヴェネチア共和国の防衛施設群(16~17世紀)

スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール

登録年:2017年 登録基準:(ⅲ)(ⅳ) 文化遺産

イタリア共和国クロアチア共和国モンテネグロ

 

16世紀ヴェネチア共和国は交易で巨万の富を築いた。

ヴェネチア自体も世界遺産に登録されているので合わせて紹介していきます。

ヴェネチアとその潟

登録:1987年 登録基準:(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅴ)(ⅵ)文化遺産

イタリア共和国

文化遺産の基準は(ⅰ)から(ⅵ)までだが、全ての要件を満たしているのは知る限りではヴェネチアだけだったと思う。それだけ、街自体の美しさや、交易都市としての活躍など素晴らしい街なのだ。しかし、地盤沈下などの進行もあり、支援を受けて救済活動が行われている。

 

ヴェネチア海上アドリア海海上に築かれた都市で、「アドリア海の女王」と称された。118の島、176の運河、400以上の橋で構成。

この地に人が住み始めたのは6世紀頃と考えられ、異民族の武力侵攻を受け、アルプスを越えて海に逃げ場を求めたヴェネト人が潟(ラグーナ)に都市を築いた。

7世紀に入ると本格的に建物も建設、漁や交易による経済体系の確立。

8世紀にはビザンツ帝国に形式的に従属しつつも、ヴェネチア共和国として実質的な独立国となり、9世紀には聖マルコの聖遺物が持ち込まれ、聖マルコ大聖堂が造られた。

その後300年の間、東西貿易の一大拠点として発展したが、15世紀になるとオスマン帝国が強大となり、地中海地域にも影響力を強めたヴェネチア海上交易にもかげりが見え始めた。1797年にナポレオン1世による侵略を受けると自治都市としての独立を失い、約1,100年の歴史に幕を下ろす。

16世紀なかばのヨーロッパ地図 - 世界の歴史まっぷ #無料 ...

16世紀なかばのヨーロッパ地図 - 世界の歴史まっぷ #無料ダウンロード #歴史地図 #神聖ローマ帝国 #ハプスブルク家 微調整しバージョン1.6にアップしました。 | 世界の歴史, 歴史, 世界地理

 

①コトル(モンテネグロ) 

正式名:コトルの文化歴史地域と自然

紀元前から海洋貿易によって栄えた商業都市

前方は深い入江、背後は標高約1,800mのロヴツェン山という天然の要害にあったこの都市は、数々の強国の支配を受けながらも一定の自治権を守って繁栄した。

1420年頃都市国家ヴェネチアの勢力下に置かれ、オスマン帝国に対する前線基地となった。

 

②シベニク(クロアチア

クロアチアの歴史的都市で、クニン群の中心都市。聖ヤコブ大聖堂は世界遺産に登録されている。

沖合にある聖ニコラス要塞が今回の世界遺産に含まれている。

 

③ザダル(クロアチア

ダルマチア地方の都市。

1202年ヴェネチア共和国に占領され、中継地として利用された。

 

パルマノーヴァ(イタリア)

16世紀末にヴェネチア共和国によって、計画的に築かれた星形要塞。オスマン帝国に対して東方国境線を防備するために造られた。

イタリア世界遺産の旅 イタリア旅行情報サイト(JITRA)

イタリア世界遺産の旅  イタリア旅行情報サイト(JITRA)

 

ベルガモ(イタリア)

ミラノの北東約40km、アルプスの麓に位置する。

ベルガモは西欧内陸の歴史的な郵便の拠点だった。

 

⑥ペスキエーラ・デル・ガルダ(イタリア)

ガルダ湖南端に位置し、ミンチョ川に流れだす位置にある。

ペスキエーラの要塞は、15世紀以降北イタリアで繰り広げられた軍事行動(ナポレオン戦争など)の中で重要な役割を果たした。

イタリア世界遺産の旅 イタリア旅行情報サイト(JITRA)

イタリア世界遺産の旅  イタリア旅行情報サイト(JITRA)

 

 

 

 

ティワナク遺跡 2022年3月6日


www.youtube.com

 

ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地

登録年:2000年 登録基準:(ⅲ)(ⅳ)文化遺産

ボリビア共和国

 

ボリビア西部、チチカカ湖から南東約17kmの標高3,850mの高地にある、インカ帝国以前の多くの建造物を残す都市遺跡。紀元前3世紀に始まり、6~10世紀の全盛期に、ボリビア全土やペルー南部、チリ、アルゼンチン北部にわたる広大な地域を治めた。文字を持たず、12世紀頃には姿を消してしまい、都市を築いた民族も不明。

20万haの広大な耕地を持ち、聖なる湖チチカカ湖から水を引いていた。チチカカ湖から70km離れた岩から巨石を削り、18mのピラミッド神殿アカパナや一枚岩で造られた太陽の門、月の門など高度な石加工技術を持っていたとされる。

 

ティワナクが衰退し、その300年後、インカ帝国ができたとされる。インカ帝国は杏です山脈一帯を領土とした。そのインカ帝国においてもチチカカ湖は神聖とされ、太陽の島、月の島などからはインカ時代のものが見つかっている。

そして、ティワナク文化継承し、インカ帝国が栄えた。

 

 

 

ケープ植物区保護地域群 2022年2月27日


www.youtube.com

登録年:2004年/2015年範囲拡大 登録基準:(ⅸ)(ⅹ)自然遺産

南アフリカ共和国

 

ケープ地方にある13の保護区からなり、多くの固有植物が自生する保護地域群。

面積はアフリカ大陸の0.5%以下だが、アフリカ大陸の植物の約20%に及ぶ

約9,000種が見られ、69%が固有種という植物のホットスポット

アフリカ大陸では珍しい地中海性気候であり、乾燥した夏季に山火事が発生しやすいが、フィンボス(灌木植生地域)の中のプロテアという植物は山火事適応し、高温のもとで初めて発芽したり、種子の散布を行うという極めてまれな特性を持っている。

この地は、アフリカ大陸の南端に位置し、1497年にヴァスゴ・ダ・ガマが喜望峰を経由してインド航路を開拓したことで知られる。強風が吹き荒れるため、15世紀初頭の航海者バルトロメウ・ディアスが「嵐の岬」と命名したケープ半島は、ポルトガル国王ジョアン2世によって「喜望峰」と改名された。

フィンボス - Wikipedia

フィンボス - Wikipedia

 

ローマ帝国の境界線 2022.2.20


www.youtube.com

 

登録年:1987年/2005年、2008年範囲拡大

登録基準:(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ) 文化遺産

イギリス及びドイツ

概要

1987年、グレートブリテン島北部のハドリアヌス帝が築いた防壁「ハドリアヌスの長城」が登録、2005年にドミティアヌス帝が築いたドイツの「リーメス(防壁の意)」、2008年にはアントニアヌス帝が築いた「アントニアヌスの長城」も登録された。

ハドリアヌスの長城はイギリスを横断し東海岸のウォールゼンドと西海岸のボウネスを結ぶ全長約120kmの城壁。2世紀前半に北方民族であるカレドニア人(カレドニア=古代ラテン語グレートブリテン島の北部の意)の襲撃に備えて築かれた。

ライン川ドナウ川を結ぶ全長約550kmのリーメスは、1世紀末にゲルマン民族の襲撃に備えて築いたもの。

リメス - Wikipedia

リメス - Wikipedia

リメスは防壁の意で、古代ローマ時代にどんどん領土を拡大していった歴史がある。そうすると、隣国との境界線は重要で図のように拡大した先々の土地に防壁をつくり、襲撃に備えた。

 

 

 

ウジュン・クロン国立公園 2022年2月13日


www.youtube.com

 

登録年:1991年 登録基準:(ⅶ)(ⅹ)

インドネシア共和国

 

ウジュン・クロン国立講演は、インドネシアのジャワ島西端のウジュン・クロン半島とスンダ海峡に浮かぶ島々からなる自然遺産。

 インドネシア初の国立公園に指定された『ウジュン・クロン国立公園』だけでなく、世界遺産にはクラカタウ諸島自然保護区も含まれる。ジャワ平原で最大の低地熱帯雨林が広がり、自然美の価値も認められた。また、地質学的に2つのプレートもあり、内陸火山の研究にも重要。

 1883年に近隣のクラカタウ火山が噴火し、36,000人の命が奪われた。そして、ウジュン・クロン半島と周辺の群島も噴き上げられた火山灰に埋もれるなど大きな被害を受けた。低地熱帯雨林の原生林が半分近く減少したものの、140年という長い年月をかけて熱帯雨林も復活しつつあり、海岸にはマングローブの森もよみがえった。

 この地域には密漁で絶滅の危機にさらされているジャワサイや、野生の牛であるバンテン、カニクイザル、インドクジャクなど、貴重な動植物が生息する。

 

ジャワサイ

絶滅危惧種のジャワサイ、インドネシア津波で全滅の恐れも - BBC ...

 

アンテケラの支石墓遺跡 2022.1.30


www.youtube.com

登録年:2016年 登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ) 文化遺産

スペイン

概要

スペイン南部アンダルシア地方に位置する『アンテケラの支石墓遺跡』は、3つの巨石遺跡(メンガとビエラの支石墓、エル・ロメラルのトロス)と、2つの自然要素(ラ・ペーニャ・デ・ロス・エナモラドスと、トルカル山)を含む。

新石器時代から青銅器時代にかけ、大きな岩から造り出された遺跡には楣(まぐさ)屋根や人造のドーム型天井を持つ円蓋墓(トロス)が残る。

埋葬のため地中に造り上げた3つの支石墓遺跡は、ヨーロッパ石造建築文化の最も重要な例の1つ。

 

地理

 

アンテケラはアンダルシア州マラガ県のムニシピオ基礎自治体

マラガ、グラナダ、コルトバ、セビリアの4都市を結ぶ四角形の中央付近にあり、アンダルシアの心臓や、アンダルシアの交差点と呼ばれる。

 

 

 

 

マチュ・ピチュ

一生に一度は行ってみたい!】マチュピチュの楽しみ方│旅する ...

https://www.knt.co.jp/tabiplanet/kaigai/160413/

世界遺産をよく知らない人でもマチュ・ピチュと聞けばなんとなくイメージがつく人が多い。それだけ、世界遺産の中でも人気遺産の1つであり、代表するものである。

しかし、いまだ謎が多い遺産でもある。日本人の人気世界遺産の多くはマチュ・ピチュ、ピラミッド、サグラダ・ファミリアアンコール・ワットモン・サン・ミシェルなど、謎も多く、神秘的で、未完成など、そういった観光地が多いような印象である。

マチュ・ピチュ

ペルー共和国

登録年:1983年 登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅶ)(ⅸ)複合遺産

概要

ペルー南部、アンデス山脈にあるマチュ・ピチュ(ケチュア語で「老いた峰」)は、インカ帝国の都市遺跡で、標高2,400m以上の高地に築かれた。都市が誕生したのは15世紀半ばとされる。

1533年、最後の皇帝アタワルパがスペイン人によって処刑され、インカ帝国が実質的な終焉を迎えるのと前後し、マチュ・ピチュも放棄された。

当時、スペイン人の間に、滅ぼされたインカ帝国の皇族の一族や残党たちがスペイン人に反逆するため、山中に「ビルカバンバ」という都市を築き、数えきれないほどの財宝を集めているという噂があったが、発見されなかった。

インカ帝国滅亡の真因は?」首都クスコで夢想した | 藻谷浩介の ...

スペイン人の侵略ルート

https://mainichi.jp/premier/business/articles/20200825/biz/00m/020/040000c

911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが、インカ帝国の首都クスコの調査中に、先住民の手引きによりとある山へ向かいマチュ・ピチュを発見。ビンガムはこの遺構がビルカバンバと確信し、世界に紹介した。

ペルー:マチュピチュ】クスコ⇒マチュピチュの行き方 | せかい ...

ペルー:マチュピチュ】クスコ⇒マチュピチュの行き方 | せかいつながる

標高3,400mのクスコからペルーレイルの列車で約3時間。マチュ・ピチュ駅は1,800mほどで、駅からバスにのり約25分かけて13のヘアピンカーブを駆け上がり、標高約2,280mのマチュ・ピチュに到着。

マチュ・ピチュの都市部分は計画的に築かれたものと考えられており、灌漑設備も充実、車輪や製鉄技術を持っていないのにも関わらず、花崗岩を見事に切り取り、山頂まで運び上げ宮殿や神殿を建設しており、インカの文明度の高さを伺わせる。

マチュピチュ・クスコ|マチュピチュ 地図マチュピチュ・クスコ|マチュピチュ・クスコ地図

                   マチュピチュ・クスコ|クスコ 地図

マチュピチュ・クスコの観光|ペルー観光ガイド|阪急交通社

その後もマチュ・ピチュがビルカバンバであるかどうか調査を重ねられたが、インカ帝国が文字を持たない文化であり、記録が残っておらず、確証は得られなかった。しかし、石段の組み立て方を調査すると建設時期は1450年頃だと判明し、少なくともこの地はビルカバンバではないというのが通説になっている。

マチュ・ピチュには手つかずの自然も残っており、絶滅の危機に瀕するアンデスイワドリやオセロット、メガネグマなどの生息地域となっている。

インカ帝国の都市のほとんどはスペイン軍によって破壊されており、現存する遺構は貴重なため、現在も様々な保護策が講じられている。

 

主な建造物

大塔と陵墓

太陽の神殿と呼ばれる大塔は、東側の窓が冬至の日の出の方角に面しており、暦を知るためにつくったと考えられている。

 

インティワタナ

太陽とつなぐものという意味で、日時計もしくは太陽の儀式を行った場所と考えられている。

 

王女の宮殿

大塔の隣にある2階建ての建造物で外階段をもつ。

 

コンドル宮殿

コンドルをかたどった大きな平石がある宮殿で、牢獄としての機能も備えていたとされる。