マチュ・ピチュ
https://www.knt.co.jp/tabiplanet/kaigai/160413/
世界遺産をよく知らない人でもマチュ・ピチュと聞けばなんとなくイメージがつく人が多い。それだけ、世界遺産の中でも人気遺産の1つであり、代表するものである。
しかし、いまだ謎が多い遺産でもある。日本人の人気世界遺産の多くはマチュ・ピチュ、ピラミッド、サグラダ・ファミリア、アンコール・ワット、モン・サン・ミシェルなど、謎も多く、神秘的で、未完成など、そういった観光地が多いような印象である。
マチュ・ピチュ
登録年:1983年 登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅶ)(ⅸ)複合遺産
概要
ペルー南部、アンデス山脈にあるマチュ・ピチュ(ケチュア語で「老いた峰」)は、インカ帝国の都市遺跡で、標高2,400m以上の高地に築かれた。都市が誕生したのは15世紀半ばとされる。
1533年、最後の皇帝アタワルパがスペイン人によって処刑され、インカ帝国が実質的な終焉を迎えるのと前後し、マチュ・ピチュも放棄された。
当時、スペイン人の間に、滅ぼされたインカ帝国の皇族の一族や残党たちがスペイン人に反逆するため、山中に「ビルカバンバ」という都市を築き、数えきれないほどの財宝を集めているという噂があったが、発見されなかった。
スペイン人の侵略ルート
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20200825/biz/00m/020/040000c
1911年、アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが、インカ帝国の首都クスコの調査中に、先住民の手引きによりとある山へ向かいマチュ・ピチュを発見。ビンガムはこの遺構がビルカバンバと確信し、世界に紹介した。
ペルー:マチュピチュ】クスコ⇒マチュピチュの行き方 | せかいつながる
標高3,400mのクスコからペルーレイルの列車で約3時間。マチュ・ピチュ駅は1,800mほどで、駅からバスにのり約25分かけて13のヘアピンカーブを駆け上がり、標高約2,280mのマチュ・ピチュに到着。
マチュ・ピチュの都市部分は計画的に築かれたものと考えられており、灌漑設備も充実、車輪や製鉄技術を持っていないのにも関わらず、花崗岩を見事に切り取り、山頂まで運び上げ宮殿や神殿を建設しており、インカの文明度の高さを伺わせる。
その後もマチュ・ピチュがビルカバンバであるかどうか調査を重ねられたが、インカ帝国が文字を持たない文化であり、記録が残っておらず、確証は得られなかった。しかし、石段の組み立て方を調査すると建設時期は1450年頃だと判明し、少なくともこの地はビルカバンバではないというのが通説になっている。
マチュ・ピチュには手つかずの自然も残っており、絶滅の危機に瀕するアンデスイワドリやオセロット、メガネグマなどの生息地域となっている。
インカ帝国の都市のほとんどはスペイン軍によって破壊されており、現存する遺構は貴重なため、現在も様々な保護策が講じられている。
主な建造物
大塔と陵墓
太陽の神殿と呼ばれる大塔は、東側の窓が冬至の日の出の方角に面しており、暦を知るためにつくったと考えられている。
インティワタナ
太陽とつなぐものという意味で、日時計もしくは太陽の儀式を行った場所と考えられている。
王女の宮殿
大塔の隣にある2階建ての建造物で外階段をもつ。
コンドル宮殿
コンドルをかたどった大きな平石がある宮殿で、牢獄としての機能も備えていたとされる。