ローヌ川で行く!南フランスの世界遺産 2023.8.27(日)


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ローヌ川は全長812kmに及び、源流はスイスのアルプス山脈2,200mほどの所にあるローヌ氷河。そこから地中海に向けて広大な旅をする。ローヌ川古代ローマ時代から重要な拠点であり、いくつもの古代ローマ遺跡時代の遺跡も点在する。

今回はそのローヌ川沿いにある4つの都市が紹介されていた。

①リヨンの歴史地区

登録年:1998年  登録基準:(ⅱ)(ⅳ)

 リヨンは、紀元前1世紀にローマ人によって、ガリア3州(リヨン、アキテーヌ、ベルギーの3つの州)と呼ばれた3つの地方の首都に定められたことを起源とする歴史都市。街の東西には小高い丘があり、西側のフルヴィエールの丘には1世紀初頭に建築されたローマ劇場、そして東側のクロワ・ルースの丘には、初代ローマ皇帝アウグストゥスに捧げる祭壇と円形劇場が残る。

 1436年、フランス国王ルイ11世が、自由市を開く特恵をリヨンに与え、フランソワ1世がイタリアから絹を導入したことがきっかけで、絹織物工業が急速に発展。

日本の富岡製糸場で絹産業の技術を教えたポール・ブリュナは、リヨン近郊で生まれ、リヨンの生糸問屋で製糸技術を身につけた。

同時期の15世紀には活版印刷技術も導入され、フランス国内で最初にフランス語の本が出版された。15世紀中頃のリヨンは、ヨーロッパで最も人口の多い都市であった。

 

②オランジェの凱旋門、ローマ劇場とその周辺

登録年:1981年/2007年範囲変更  登録基準:(ⅲ)(ⅵ)

リヨンから南に200kmほど下流に向かうとオランジェの街が見えてくる。

ローマ劇場と凱旋門は、紀元1世紀頃のアウグストゥスの治世下において建てられた古代ローマの遺跡。ローマ軍のカエサルがオランジェを征服して植民地とし、ローマの都市計画を持ち込んで今も遺構が残る街並みが作られた。

 

アヴィニョンの歴史地区:教皇庁宮殿、司教の建造物群、アヴィニョンの橋

登録年:1995年  登録基準:(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ)

かつて教皇庁が置かれ、カトリック世界の中心として栄えた歴史都市。14世紀初めにフランス国王フィリップ4世は、教皇ボニファティウス8世と対立し、ボニファティウス8世の死後に選出された教皇クレメンス5世に圧力をかけ、1309年、アヴィニョン教皇庁を移転させた。以後1377年まで68年間にわたり、教皇庁所在地となった。

ローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋は有名で観光名所になっている。この橋は経費の関係もあり、途中で途切れている。この橋をモチーフにした有名な民謡がある。


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アヴィニョンの橋で】

 

④アルルのローマ遺跡とロマネスク建築

登録年:1981年  登録基準:(ⅱ)(ⅳ)

古代から中世の遺跡が数多く残る街。アルルがローマの支配下に入ったのは、紀元前2世紀のこと。ローマ川河口と内陸部をつなぐローマの商業的拠点となって繫栄し、カエサルアウグストゥスによって様々な建造物が建てられた。4世紀、、コンスタンティヌス帝が拠点とすると最盛期を迎え、392年にキリスト教がローマの国教となると、初期キリスト教における重要な都市となる。アルルに残る遺跡の中でも有名なのが円形闘技場。2万5,000人の収容が可能。保存状態が良く、現在でも復活祭の日には闘牛が行われている。