オルチア渓谷 2022.12.5(日)
登録年:2004年 登録基準:(ⅳ)(ⅵ)
オルチア渓谷は、トスカーナ地方にあり、14~15世紀に都市国家シエナによって開墾された際に形成された田園風景が残る。
13~14世紀、シエナは交易都市国家として劇的な発展を遂げる。
今も残るフランチジェナ街道。この道はイタリアのローマからイギリスのカンタベリーまで続いている。ヨーロッパの巡礼路といえばサンティエゴ・デ・コンポステーラ(フランスからスペインまでの巡礼路で世界遺産になっている)が有名ですが、この街道はイギリスのカンタベリーの大司教がローマまでの往復したときのラテン語の日記が10世紀に見つかり、この街道が発見されたそう。
フランチジェナの巡礼道は全長は3309km、うちイタリアが2074km。この街道に沿って、多くの街が発展した。トスカーナ地方は全部で15か所。
ピエトラサンタ、ルッカ、サン・ミニアート、サンジミニャーノ、シエナ、サンクイリコなどの街があり、中心だったのがシエナだったのです。
シエナは13~14世紀に繁栄を迎えるが、国家の農業基盤を確保する必要性に迫られた。そこで選ばれたのがオルチア渓谷であった。シエナから25kmほどの位置にあり、ヴァチカンに向かう巡礼者でにぎわう街道が走っていた。
しかし、渓谷の土壌は石灰層で粘土質の白い土壌で、水はけも悪かった。農地改良にはシエナの商人たちの富が投じられた。シエナは美術館のような美しい街と言われ、カンポ広場は世界一美しい広場ともいわれる。ルネサンス期の影響もあり、田園にも美しさを求めるようになった。それまでにもオルチア渓谷は開墾していたが、より計画的に視覚的にも美しい田園を創ろうとした。
街道沿いには、聖堂や集落が置かれ、農地開発と共に防御の役目も果たす。丘陵や守楽を結ぶ道に沿ってイトスギが植えられていった。薄緑の農地と整然と配列された濃緑のイトスギが織りなす優美な景観がオルチア渓谷の大きな遺産価値。
このような美しい景観が広がっている。北海道でいうならば美瑛の丘陵と十勝の雄大な平原にカラマツが立っている風景のいいとこどりという感じでしょうか。そこに中世の街の雰囲気やルネサンスの影響も残る。
人間による開発が自然の美しさをさらに高めた理想的な例ともいえる。
シエナは12世紀に市民による政治組織「コムーネ」が成立、商業、金融業の中心となる自治都市として発展。以後、数百年にわたり銀行家など大商人からなるコムーネが市政をつかさどる。
シエナの北約60kmにある都市国家フィレンツェでは、ローマ教皇派が実権を握っていたのに対し、シエナで優勢だったのは神聖ローマ帝国皇帝派だったこともあり、たびたび衝突していた。14世紀半ばに不治の病と恐れられたペストの大流行で、10万人の人口が3万5000人に激減、街は急速に失速。16世紀頃に、フィレンツェに併合された。
アグリツーリズモという農家に宿泊、体験する旅行があるそう。この体験宿泊ができる所がトスカーナ地方には多くあるよう。もし、時間に余裕があるのなら、こうした場所で過ごす。とても憧れますね。