ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで 2023.6.4(日)


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登録年:1979年  登録基準:(ⅰ9(ⅲ)(ⅵ)

エジプト・アラブ共和国

 

世界遺産という考え方はこのアブシンベル宮殿から始まった。

1960年に始まったエジプト政府のアスワン・ハイ・ダム建設によって水没の危機にあった神殿。ナイル川にはすでにイギリス占領下で造られたアスワン・ダムがあったがナイル川氾濫を防止するとともに、安定した電力を供給するため、上流にさらに巨大なダム建設が国家事業として進められることになった。

ダム建設を知ったユネスコアブ・シンベル宮殿の調査を開始。1960年3月からは各国に向けて、ヌビア遺跡群の救済を求めるキャンペーンを開始。これが注目を浴び、世界50ヵ国が協力し、1964年から救済事業がスタート。

アブ・シンベル宮殿を小さなブロックに切断、解体し、西へ210m、元の場所から64m高い場所に移築することになった。工事は1968年9月に完了した。

 

こうした後世に残すべきものを保存し伝えていくという考え方をもとに世界遺産委員会が発足していった。

 

エジプト、ナイル川上流のヌビア地方の遺跡群は、古代エジプト新王国時代(B.C1570年頃~B.C1069年頃)、及び古代エジプト末期のプトレマイオス朝時代(B.C304年~B.C30年)に建てられた建造物群。

ヌビア地方は金などの鉱物の産地であり、アフリカ奥地との交易の中継基地であった。

そのためエジプトの王たちはたびたびヌビア地方に出兵、紀元前1550年頃、最終的にエジプトの支配下に置いている。

紀元前1260年頃、新王国時代第19王朝のファラオで、「建築王」と呼ばれたラメセス2世(在位B.C1279年頃~B.C1213年頃)は、ヌビア

地方の都市アスワンの南約280kmの河岸に巨大な神殿を建造。それがアブ・シンベル宮殿で、正面には高さ22mもあるラメセス2世の座像が4体切り出され、それぞれの足元には母や王妃、娘、息子など小さな立像が彫られている。

また、アブ・シンベル宮殿から北に120m離れた場所に、王妃ネフェルタリのために神殿を築いた。この神殿の入り口にもネフェルタリを挟んで4体のラメセス2世が左右に2対彫りだされている。

 

 

ラメセス2世は非常に自己顕示欲の強い王だったといわれており、王国の記念建造物に書かれた歴代王の名前を自分の名前に書き換えさせるという話もある。

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アスワンの南、ナイル川に浮かぶ小島であるフィラエ島には、B.C4~3世紀に建てられた古代エジプトの女王イシスをまつるイシス神殿などの遺跡があった。

この神殿は、五賢帝時代のローマ皇帝たちに気に入られ、テオドシウス1世がキリスト教ローマ帝国の国教とする政策を完了したことも記されている。

フィラエ島の遺跡も、アス・ワン・ハイ・ダム建設によって水没の危機に瀕していたが、1972年にアブ・シンベル宮殿と同じく、かつてのフィラエ島と地勢がよく似たアギルキア島に移築された。現在は、このアギルキア島がフィラエ島と呼ばれている。