テオティワカンの古代都市


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登録年:1987年 登録基準:(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)

メキシコ合衆国

 

メキシコ・シティの北東約50kmに位置するテオティワカンは2~8世紀中ごろに栄えた古代都市。築いた民族はいまだに不明、BC2世紀頃から小集落が統合し始め、大規模な都市に発展したという。350~650年頃に最盛期を迎え、都市域は36㎦を超え、人口およそ15万人を抱える大都市になった。遺跡からは400以上の黒曜石の加工場が見つかっており、黒曜石の交易を独占したことが繁栄につながったと考えられている。

8世紀の中ごろには廃墟と化したが、14世紀頃に、メシーカ人が侵入すると、この地を神々が集い、月と太陽を創造した聖地であると解釈。そこから「神々が集う場所」を意味する「テオティワカン」と命名し、聖地として利用した。

16世紀にアステカ帝国を征服したスペイン人たちはこの遺跡の意味を理解できなかった。1884年から発掘調査が行われているが、現在でも10分の1程度の発掘しかできておらず、広大な都市部の大半はいまだ地中の中にある。

 

テオティワカンには、太陽のピラミッドや月のピラミッドなど約600基のピラミッドや、ジャガーの宮殿などが整然と建設されている。ほとんどの建造物の基壇は、「タルー」と呼ばれる傾斜した石壁と、「タブレロ」と呼ばれる垂直な石壁を交互に積み上げて造られており、この建築様式を「タルー・タブレロ式」という。

83cm(手の先から心臓までの距離)が基準とされており、その長さで計画的に建設された都市である。

 

遺跡の南部にあるラ・シウダデラ(城塞)と呼ばれるアメリカでも最大規模の儀式場跡には、ケツァルコアトル(=羽毛の生えたヘビ)のピラミッドがあり、外壁には雨と雷の神トラロックと創造と文化の神ケツァルコアトルがまつられている。

2003年、この神殿の正面に縦穴が見つかり、さらに神殿に向かう100m以上のトンネルが見つかっている。

 

また、この遺跡からはマヤ文明の壁画やヒスイなどが見つかっており、マヤ遺跡のピラミッドからもテオティワカンの黒曜石などがみつかっており、1000km以上も離れているが、交易があったと考えられている

マヤ文明:紀元前後から16世紀頃までメキシコ、グアテマラホンジュラスなどに展開した文明。3~9世紀頃に強い勢力があった。