平泉 ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー

金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗 ...

金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]

登録年:2011年 登録基準(ⅱ)(ⅵ) 文化遺産

岩手県

登録基準

 

●登録基準(ⅱ)

日本には古来から自然崇拝(神道)の考えがありました。要は万物には神が宿る考えです。6世紀になると仏教が伝来し、融合しながら独自に発展。その時、一緒に伝来した伽藍建築と日本古来の水景と融合し、発展し広がる過程が証明できるとして登録。

 

●登録基準(ⅵ)

浄土思想は、12世紀における日本人の死生観の形成に重要な役割を果たした。宗教儀礼、民族芸能といった分野において今も継承されている。

 

構成遺産

 

中尊寺毛越寺(もうつうじ)、観自在王院跡、無量光院跡の4つの寺院と金鶏山

中尊寺

世界遺産・平泉で古寺巡礼。中尊寺、毛越寺で奥州の文化を体感!│観光 ...

世界遺産・平泉で古寺巡礼。中尊寺、毛越寺で奥州の文化を体感!│観光・旅行ガイド - ぐるたび

850年、天台宗の僧、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)の創建と伝わる。

その250年ほど後、奥州藤原の初代清衡が前九年、後三年の合戦で亡くなった人々の霊を慰めるため、堂塔を建設。多くの堂塔はその後の火災で焼失。火災を免れた金色堂や3000点以上の国宝や重要文化財が現在も残される。

毛越寺

平泉が誇る名刹の庭園はこの世に降臨した仏の国 | 今日の絶景

平泉が誇る名刹の庭園はこの世に降臨した仏の国 | 今日の絶景

850年、中尊寺と同じく慈覚大師円仁の創建と伝わる。2代基衡が造営。最盛期には堂塔40、僧房500を数える規模を誇る。しかし、度重なる火災で大部分が焼失。大泉が池を中心とする浄土庭園は、今なお境内中央に広がり、当時の面影を偲ばせる。

観自在王院

観自在王院跡|THE GATE|日本の旅行観光マガジン・観光旅行情報掲載

観自在王院跡|THE GATE|日本の旅行観光マガジン・観光旅行情報掲載

基衡の妻によって建立。大小の阿弥陀堂が林立していた庭園は、園池を中心とする浄土庭園で、背後の金鶏山と一体となった景観によって阿弥陀如来の極楽浄土を表現。

無量光院跡

無量光院跡 | ニッポン旅マガジン

無量光院跡 | ニッポン旅マガジン

3代秀衡が建立。金鶏山の東に位置し、さらにその東には居館の遺跡である柳之御所遺跡がある。阿弥陀堂は、平等院鳳凰堂をモデルとしていた。

金鶏山

平泉中心部の西に位置する標高98.6mの小丘。中心部からも目視できる位置にあり、古くから方位を示す目印とされ、居館を築く際に位置関係が重視された。

 

歴史

 

平泉は奥州藤原氏によって繁栄した。

(1)初代藤原清衡(きよひら)33年在位

11世紀末、陸奥出羽国を統治していた。平泉を拠点と考えた。当時、平泉では金が産出されており、中央政権とも結びついていた。その財をもとに仏国土の実現を目指す。

1105年中尊寺を造営。1124年には境内に金色堂を建立。

(2)2代藤原基衡(もとひら)33年在位

毛越寺の再興。死後には、妻によって観自在王院も建立。夫婦だから隣あった場所に建立されたと考えると覚えやすい。また、西のかなたに浄土があるという西方浄土の考え方もあり、夫を敬い、遠慮し東側のすぐそばに寄り添うな形で建立したのかなと想像してしまいます。

(3)3代藤原秀衡(ひでひら)33年在位

阿弥陀如来の極楽浄土を表現する無量光院を造営。阿弥陀堂は、宇治の平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)をモデルにしている。年に2回、仏堂背後の金鶏山山頂に夕日が落ち建物が光り輝くように計算されている。

(4)4代藤原泰衡(やすひら)1年在位

1187年源義経が兄の討伐を逃れ秀衡のもとに身を寄せるが1189年、泰衡は、頼朝の力を恐れ、義経を襲撃し自害へ追い込む。しかし、結局同年に頼朝に侵攻され奥州藤原は滅亡。

1から3代が33年在位し、4代と合わせちょうど100年で覚えやすいです。

 

過去問にチャレンジ!!

 世界遺産検定 公式過去問題集 

2017年7月1級問題【問81】

「平泉」にある「金色堂」の説明として正しいものはどれか。

金鶏山と一体となった景観によって阿弥陀如来の極楽浄土を表現している

藤原清衡が築いた後、基衡が金箔を貼る改築を加え現在の姿になった

③方三間の仏堂建築は同形式の阿弥陀堂建築の中では国内最古のものである

④創建当時の金色堂は焼失したため室町時代に再建された

 

解答 答えは③

①は観自在王院跡のことだよ。2代基衡の妻が建立。背後の金鶏山と一体となった景観で阿弥陀如来の極楽浄土を表現していた。

④は中尊寺も1337年に火災が発生したけど、金色堂と一部の経蔵は無事だったよ。

 

2017年12月1級問題【問81】

平泉の構成遺産に関する説明として正しいものは

金鶏山よりも南にある構成遺産は中尊寺のみである。

観自在王院毛越寺は、共に3代の藤原秀衡の時代に創建された。

無量光院跡金鶏山の東に築かれた寺院の跡で、その東には居館の遺跡である柳之御所遺跡がある。

中尊寺金色堂は、一辺が三間の寸法をもつ「方三間」と呼ばれる仏堂建築である。

 

解答 答えは③

①は南ではなくて、北にある構成遺産を指しているね。

②は共に2代の基衡とその妻が建てたものだね。

④方三間が日本建築の1つで、正方形の1辺に柱が4つ、その間が3つある(3間)ということで、寸法の間(けん)とは異なる。

 

2016年7月1級問題【問55】

「平泉」の構成資産である毛越寺の説明として正しいものはどれか

奥州藤原氏3代秀衡の時代に平泉館の北西に築かれた。

②13世紀中ごろに慈覚大師円仁が2代基衡の下で開基した。

③北東側に設けられた遣水(やりみず)は、平安時代の遺構としては日本唯一である。

④堂宇と周囲の景観で阿弥陀如来の東方浄土を表している。

 

解答 答えは③

①の平泉館(ひらいずみのたち)は柳之御所遺跡のことを指し、奥州藤原氏時代の政庁のこと。地理的には無量光院跡の東にあるので、毛越寺からみても東に位置する。この柳之御所遺跡も推薦当初は含まれていたが、決定時には除外とされた。

毛越寺の建立は慈覚大師円仁だけど、基衡とは生きている時代が違うよ。

④周囲の景観と阿弥陀如来を表現していたのは観自在王院だよ。

 

2016年12月1級問題【問50】

「平泉」において12世紀末に広がった「末法思想」の説明として、正しいものはどれか

①釈迦の死後1,000年を経て世界が終末を迎えた後、新たな指導者に導かれて浄土が築かれるという考え方

②釈迦の説いた正しい教えが時代とともに正しく伝えられなくなり、最後には教えが全く守られない時代が来るという考え方

③釈迦の説いた教えが人々の間に行き渡り、仏法の最終段階に至るという考え方

④浄土に行く人数には上限があり、政治や経済が不安定な現在(12世紀末)はその人数が上限に達しつつあるという考え方

 

解答 答えは②

 

アクセス、モデルコース

東京駅から新幹線(はやて・やまびこ)で一関駅で乗り換え普通電車で平泉駅へ《所要時間約3時間2分》

●JR平泉駅

↓ バス3分

毛越寺 【8時30分~17時 拝観料500円】

↓ 徒歩2分

観自在王院跡 【見学自由】

↓ バス4分

●平泉文化遺産センター 【9時~17時 入館は~16時30分 見学無料】

↓ バス3分

中尊寺 【8時30分~17時 拝観料800円】

↓ バス4分

●高館義経堂 【8時30分~16時30分 拝観料200円】源義経終焉の地

↓ バス2分

無量光院跡 【見学自由】

↓ バス4分

●JR平泉駅

<便利な乗り物>

巡回バス「るんるん」9時45分~16時15分運行。1日乗車券400円(1回は150円)

 

 

 

宿泊

「~世界遺産の隠れ宿~果実の森」は檜の内風呂もあって畳の和室もあって素敵ですね。37の全ての客室にあるそうです。食事も地産地消。家族でのんびり行ってみたいです。

 

参考文献

世界遺産大事典<上>

世界遺産検定 公式過去問題集 2018年度版

●公式問題集 2017年度版

●楽楽東北