紀伊山地の霊場と参詣道

登録年 2004年/2016年範囲拡大 登録基準(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)文化遺産

和歌山県奈良県三重県

 

 

登録基準

登録基準(ⅱ)

空海によって創建された「高野山」には、多くの仏教建築が残り、「吉野・大峯」と「熊野三山」には、「神仏習合」の宗教観に基づいて築かれた仏教寺院建築群と独特の神社建築が残る。山岳景観とともに、文化的景観を形成し、日本各地へ伝えられ、それぞれの霊場形成のモデルとなった。

 

登録基準(ⅲ)

各社寺の境内や参詣道には、今はない木造及び石造りの建造物や宗教儀礼に関する豊富な考古学的文化財が残されている。今なお参詣者による宗教儀礼が行われるなど、宗教文化の重要な継承の場となる。

 

登録基準(ⅳ)

多くの仏教建築や「熊野三山」などの神社建築は、木造宗教建築の代表例。歴史上、芸術上の建築的価値が高い。近世以降、徳川幕府の諸大名によって高野山奥院に築かれた石塔婆は、規模や様式の多様性の点において重要であり、日本独自の石造廟様式の変遷を示す顕著な例。

 

登録基準(ⅵ)

建造物や遺跡は、神道と仏教、その融合の過程で生み出された「修験道」など、日本独自の信仰形態の特質を表す顕著な例。

 

構成資産

紀伊山地に点在する「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」の3つの霊場と、それぞれを結ぶ参詣道で構成。1,000~2,000m級の山脈が連なる紀伊山地は、多雨地帯であり、豊かな森林がある。古くから「神の宿る場所」として崇められ、山や森、川、滝などを神格化する日本古来の自然信仰を育む土壌となっていた。中国から仏教や道教が伝来すると、「神仏習合」、「浄土教」、「修験道」など信仰の聖地となる。そのため起源も内容も異なる3つの霊場と、参詣道が整備され、多くの参拝者が訪れるようになった。日本で初めての文化的景観が認められた。

吉野・大峯

水を支配し、金などの鉱物資源を産出する山として崇められた金峯山を中心とする「吉野」と、その南に連なる修験道の修行の場である「大峯」で構成される紀伊山地最北部の霊場

吉野山 青根ヶ峰を頂点とした山稜一帯。「千本桜」が有名

金峯山寺(きんぷせんじ) 7世紀役行者が開山したとされる修験道の根本道場

大峯山寺 標高1,719mの山上ヶ岳の山頂に立つ修験道の聖地

吉野水分神社 水をつかさどる天水分命などをまつる。現在の社殿は豊臣秀吉が再建

・吉水神社 源義経後醍醐天皇ゆかりの古寺。神仏分離令で神社に

金峯神社 金など鉱物信仰が起源で、吉野山の最奥に建つ。祭神は金山毘古神

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熊野三山

紀伊山地の南東に、20~40kmを隔てて点在する「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の総称。10世紀、神仏習合の広まりで、互いの主祭神を合祀し、「熊野三所権現」として信仰を集める。

熊野本宮大社 かつては「熊野坐(にます)神社」と呼ばれ、起源は古代

・熊野速玉大社 原始信仰を受け継ぐ祭礼「熊野お灯祭り」で知られる

熊野那智大社 那智大滝に対する自然信仰を起源

那智大滝 133mの滝で、古代より神が宿るとして信仰

青岸渡寺 5世紀にインドから熊野に漂着した僧によって開山したと伝わる

・補陀洛山寺 小舟で観音浄土を目指す「補陀洛渡海」ゆかりの寺

那智原始林 約33万㎡の森林

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高野山

金剛峰寺を中心とする「真言密教」の霊場。建築物群は、標高800mの山上にある約3k㎡の平地にあり、「八葉の峰」とも呼ばれる。本堂と多宝塔を組み合わせた伽藍配置は、真言宗寺院のモデル。かつて高野山は女人禁制であり、参詣する女性はふもとの慈尊院を詣でた。

・金剛峰寺 816年に空海によって開山、高野山真言宗の総本山

・丹生都比売神社 高野山一帯の地主神をまつる神社。金剛峰寺の鎮守神

慈尊院 空海の母ゆかりの寺院

 

参詣道

大峯奥駈道(おくがけみち)」、「熊野参詣道」、「高野参詣道」の3つ。

大峯奥駈道 吉野・大峯と熊野三山を結ぶ約120kmの山道

・熊野参詣道 奈良、京都など各都市から、熊野三山へ至る参詣道の総称

・高野参詣道 慈尊院を起点に奥の院へ至る道。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のすべて - 世界遺産 紀伊産地の ...

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のすべて - 世界遺産 紀伊産地の霊場と参詣道 | わかやま文化財ガイド

熊野参詣道には紀伊路伊勢路小辺路(こへち)、中辺路(なかへち)、大辺路(おおへち)がある。

・中辺路:平安貴族公式のルート

田辺市から中辺路と大辺路の2本に分かれ、中辺路は田辺市から東に進み、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社につながる。奥深い緑の自然豊かな紀伊山地の山々を越えていく道で平安から鎌倉にかけて皇族や貴族の公式参詣道として一番利用された道

 

大辺路紀伊半島を南下する海沿いの道

田辺市を南下し、そのまま紀伊半島に沿って那智勝浦町に至る道。大辺路は本州最南端の串本町も通り、大小様々な岩柱が見渡せる。冨田川の山王橋が有名。

 

小辺路:山越えが必要なルート

北の高野山と南の熊野本宮大社の二大聖地を最短距離で結ぶルート。約70kmの間には、1,000m級の山々が連なる。

 

伊勢路紀伊半島の東側を通るルート

伊勢神宮熊野三山を結ぶ参詣道。江戸時代には「伊勢に七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)」と表現されるほど、庶民にとって2ヵ所を参拝することは憧れだった

 

紀伊路:大阪から和歌山西部をつなぐ南北道

大阪から南下し、和歌山県西部の田辺市まで南北にのびた道

 

歴史

7世紀後半、仏教が国家を鎮護する宗教になると、自然信仰の神域とされていた紀伊山地では、山岳信仰が盛んに行われるようになった。

816年、空海が「金剛峰寺」を創建、真言密教の修行場として定着。

9~10世紀、「神仏習合」の思想が広まり、「熊野三山」などを中心に建造物が建立。道教の神仙思想と日本の山岳信仰が融合、独自の宗教である「修験道」が成立。その中心が吉野・大峯であり、多くの修験者が集まるようになった。

11世紀、「浄土教」の流行で、死後の成仏を願う皇族や貴族、有力武士により、多くの寺社が建立。参拝に訪れ、次第に各霊場や参詣道が整備されていく。

 

過去問にチャレンジ!!!

2017年7月1級問題

【問84】

紀伊山地の霊場と参詣道』の高野山にある「金剛峰寺」に関する以下の文中の空欄に当てはまる語句として、正しいものはどれか

高野山は金剛峰寺を中心とする真言密教霊場で、(  )を組み合わせた金剛峰寺の伽藍配置は、全国の真言宗寺院のモデルとなった。

①本堂と多宝塔  ②本堂と三重塔  ③薬師堂と経蔵  ④薬師堂と回廊

 

解答 答えは①

高野山 壇上伽藍「根本大塔(多宝塔)」 | 高野山-御朱印

高野山 壇上伽藍「根本大塔(多宝塔)」 | 高野山-御朱印

 

2017年12月1級問題

【問45】

紀伊山地の霊場と参詣道』の「吉野・大峯」にある「金峰山」の説明として、正しいものはどれか

①年間降水量が5,000mmを超える多雨地帯である

②かつては女人禁制であり女性はふもとの慈尊院を詣でた

③水を支配し、金などの鉱物資源を産出する山として崇められた

④山上にある約3k㎡の平地には金剛峰寺がたつ

 

解答 答えは③

①年間降水量は3,000mmを超える多雨地帯

②女人禁制は高野山で、唯一慈尊院が女性参拝を許された

④金剛峰寺がたつのは高野山

 

2016年7月1級問題

【問75】

紀伊山地の霊場と参詣道』に関する次の文中の語句のうち、正しくないものはどれか

紀伊山地の霊場と参詣道』は、(①空海)によって創建された(②真言密教)の霊場である「高野山」と、その修験道霊場である「吉野・大峯」、神仏習合の思想に基づいて作られた「熊野三山」、そしてそれらをつなぐ「参詣道」からなる。「(③吉野・大台ヶ原)」はユネスコの(④生物圏保存地域)にも指定されているが、これは修験道霊場としたことで木々の伐採が禁じられたことと関係している。

 

解答 答えは③

大峯:大台ヶ原大峯山として生物圏保存地域に指定されている。

 

2017年12月1級問題

【問49】

紀伊山地の霊場と参詣道』の「吉野・大峯」に含まれる「大峯」は、「大台ヶ原大峯山」として生物圏保存地域に指定されている。文化遺産でありながらそうした自然環境が残された理由として考えられるものはどれか

①14世紀の南北朝時代南朝の拠点が置かれ、天皇の行在所として一般人の入山が禁止されたため

役行者が桜の木に蔵王権現を彫り込んだという言い伝えにより、桜の木の伐採が禁止されたため

③1872年の修験道廃止令により、この地域での全ての宗教活動が禁止され、自然環境に人の手が入らなくなったため

修験道霊場として木々の伐採が禁止され、自然林の植生が良好に保たれたため

 

解答 答えは④

 

宿泊

里創人 熊野倶楽部