法隆寺地域の仏教建造物群
登録年 1993年 登録基準(ⅰ)(ⅱ)(ⅳ)(ⅵ)文化遺産
登録基準
●登録基準(ⅰ)
法隆寺と法起寺に残る木造建造物群は、全体の設計とデザインが素晴らしく、エンタシスを持つ太い柱や、雲形の肘木(ひじき)や斗(ます)などの細部の装飾も優れていて芸術的価値が高い。
※エンタシスとは柱の中央部分を膨らませた形状。ギリシアのパルテノン神殿などでも用いられる。
ギリシアといえばこれですねよね。名前を知らなくても見たことはあるって人は多い。
●登録基準(ⅱ)
法隆寺地域の仏教建造物は、日本における仏教建造物の最古の例として1300年間の伝統のなかで、それぞれの寺院の発展に影響を及ぼした。
●登録基準(ⅳ)
7~8世紀初頭の建造物には6世紀以前の中国建築と共通する様式上の特色が見られる。8世紀の建造物は、唐の様式も見られる。この時期に中国と日本、東アジアにおける密接な建築上の文化交流があったことの証明である。
1つの地域に7世紀から19世紀までの各時代における優れた木造建造物が保存されている例は他に類がない。
●登録基準(ⅵ)
仏教はインドから中国朝鮮を経由して6世紀半ばに伝わる。聖徳太子は当時仏教の普及にきわめて熱心で、太子ゆかりの法隆寺は日本の仏教の最も古い時代の建造物を多数保存しており、宗教史の観点からも高い価値がある。
構成遺産
法隆寺の西院伽藍の金堂、五重塔、中門、回廊、法起寺三重塔などの8世紀以前に建造された11棟の建物は、現存する世界最古の木造建造物である。
法隆寺西院伽藍は東に金堂、西に五重塔が並び、「法隆寺式伽藍配置」と呼ばれる。金堂や五重塔には、「雲型組物」が用いられている。また、法隆寺中門は、通路となる門の中央部に柱を置く「四間門」である。中門の左右には阿形と吽形の2体の金剛力士像が置かれる。
写真の手前に見えるのが中門。そこに2体の金剛力士像がいます。
【阿吽の呼吸】と聞くと2人で息を合わせるイメージですね。
口を開いて最初に発せられる音のことを「阿」。口を閉じて最後に発せられる音のことを「吽」という。ここから、「阿吽」は宇宙の始まりと終わりを意味するようになった。後に、「阿」は真実の追求、求道の心、「吽」は智慧、涅槃を表すようになった。また、一対のものを表すようになった。例えば、社寺の本殿の前に置かれる狛犬、仏法の守護神である金剛力士像、仁王像がそうである。更に、「阿吽」は転じて二人の人が息を合わせ共同で活動する意味となった。日本語に、「阿吽の呼吸」という言い方がある。例えば、相撲の取り組みで、二人の力士が立ち会いで息を合わせた後、立ち上がって取り組みが始まる。この、二人が息を合わせるのが「阿吽の呼吸」である。
左が(吽形) 右が(阿形)
金剛力士像と言えば、昔の教科書で習いましたし、写真を見て分かる方も多いと思います。では、どっちが阿形(あぎょう)で吽形(うんぎょう)と聞かれてすぐに分かる人は意外に少ないと思います。実際に私も今回、調べて初めて知りました。言葉の意味を理解していくと、どっちがすぐに分かりますね。
他にも、世界最古のものはウィキペディアに載ってました。
ただし、あくまでもではないかという建造物が多いのも確かです。当時を生きた人がいる訳ではないので、特定するのはとても難しいことですね。
歴史
法隆寺地域における最初の仏教寺院は、607年に推古天皇とその摂政を務めた聖徳太子によって築かれた若草伽藍(斑鳩寺(いかるがでら))である。670年に焼失しているが、遺構は法隆寺境内の地下に残る。現在の西院伽藍の起源は7世紀後半から8世紀初頭に若草伽藍から場所を移して再建された寺院と考えられている。東院伽藍が築かれたのは8世紀前半。聖徳太子没後の739年に、住居だった斑鳩宮跡に聖徳太子の霊をまつるために建設された伽藍(上宮王院(じょうぐう))が起源とされる。
法起寺は、聖徳太子の死後の7世紀に、その子息である山背大兄王(やましろのおおえのおう)が、聖徳太子の宮であった宮本宮跡に建立した寺を起源。16世紀末の戦乱でほぼ焼失、高さ24mの三重塔が残るのみ。
法隆寺をはじめこの地域の寺院は、「鎮護国家の寺」として、天皇家に手厚く保護された。12世紀になると、一般人にも「聖徳太子信仰」が始まり、法隆寺をはじめ多くの信者が訪れた。各時代の権力者のもとで保護されてきたが、明治維新を迎えると神道を重んじ仏教を排除する思想のもとで次第に荒廃。しかし、1897年、明治政府のもとで「古社寺保存法」の制定されると再び保存されるようになった。
過去問にチャレンジ!!!
2017年7月1級問題
【問68】
法隆寺地域の仏教建造物群の法隆寺西院伽藍の中門に見られる「四間門(しけんもん)」の特徴として、正しいものはどれか
①四本の柱で囲まれた門である
②僧職に就く者だけがくぐることを許されている
③横幅が四間ある石門である
④門の中央部に柱が置かれている
解答 答えは④
中央に門、左右に金剛力士像が立っているのが分かります。
2017年12月1級問題
【問80】
法隆寺地域の仏教建築物群の説明として正しいものはどれか
①アーネスト・フェノロサと岡倉天心が開示を要求したことで、秘仏であった釈迦三尊像の姿が明らかになった
③法隆寺で行われてきた木造文化の保存・修復の歴史が「奈良文書」の採択に影響を与えた
④明治維新以降の廃仏き釈(はいぶつきしゃく)のなかで法隆寺も廃寺となっていたが、世界遺産登録に向けて保存活動の中で再興した
解答 答え③
世界遺産における真正性という考え方は、当初、石の文化の建造物のように当時のものがそのまま残っていることが重視されていたため、木や土の文化においてはその建造物の真正性が認められにくかった。日本政府は、木の文化における保存・修復の歴史を説明し、それが「真正性における奈良会議」につながった。採択には、「法隆寺地域の木造建築物群」で行われてきた木造文化の修復の歴史が大きく影響している。
①の開示要求は、夢殿の本尊「救世観音菩薩像」である。聖徳太子の等身と伝えられる。
夢殿秘仏・救世観音菩薩立像|法隆寺|斑鳩町|生駒・信貴・斑鳩・葛城エリア|秘宝・秘仏 特別開帳|祈りの回廊 [奈良県 秘宝・秘仏特別開帳]
②夢殿があるのは東院伽藍。現存する最古の八角円堂である。
2016年7月1級問題
【問79】
法隆寺地域の仏教建造物群の西院の金堂に安置されている象として正しいものはどれか
②救世観音菩薩像
③弥勒菩薩半か思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)
④不空成就如来像
解答 答えは①
法隆寺・(金堂)釈迦三尊像「釈迦如来と文殊菩薩?普賢菩薩??」 | 法隆寺-御朱印
②は法隆寺の東院、夢殿
2016年12月1級問題
【問48】
法隆寺地域の仏教建造物群の説明として、正しいものはどれか
①7~8世紀初頭にかけて築かれた建造物からは、6世紀以前の中国建築と共通する様式上の特色がみられる
②法隆寺と法起寺はかつてひとつの寺院であったが、12世紀の聖徳太子信仰のなかで別の寺院として分けられた
③西院本堂にある救世観音立像からは北魏時代の中国文化の影響がうかがえる
④法隆寺をはじめとする寺院は、「鎮護国家の寺」として古くより天皇家によって手厚く保護されており、現在は宮内庁の管轄下におかれている
解答 答えは①
③は釈迦三尊像のこと。釈迦三尊像のアルカイク・スマイル(古式の微笑み)などに北魏時代(6世紀)の中国文化の影響がうかがえる。
④は宮内庁ではなく、国家の保護下にある。
宿泊
門前宿 和空 法隆寺
法隆寺の参道にあり、法隆寺から最も近いお宿だそう。懐石料理は神田川敏郎さんの監修。雰囲気も素晴らしく、子供が大きくなったら夫婦で行きたいですね。
参考文献
●世界遺産大事典<上>
世界遺産の基礎知識、日本の世界遺産、アジアの世界遺産、アフリカの世界遺産、オセアニアの世界遺産を網羅。ブログを書いていく上で参考にさせてもらっています。読むだけで、今まで知らなかったことがどんどんわかって楽しくなるのでぜひ読んでほしいです。