ピントゥラス川のクエバ・デ・ラス・マノス 2023.6.18(日)
登録年:1999年 登録基準:(ⅲ)
ピントゥラス川流域の渓谷の洞窟には、先史時代に描かれたと推測される壁画がいくつも残る。B.C1万1000年頃からA.C700年頃までの長期にわたり、移動してきた千住民により描かれている。
その中でも最も特殊な場所は「手の洞窟」を意味するクエバ・デ・ラス・マノスと呼ばれる洞窟で、858もの手形が残る。壁に手のひらを押し当て、その上から塗料をかける、あるいは手のひらに塗料を塗って、岩面に押し付けるという方法で描かれた。
手形のほとんどが左手で右手はわずか36にしかない。
コルディエラの棚田群 2023.6.11(日)
登録年:1995年 登録基準:(ⅲ)(ⅳ)(ⅴ)
フィリピンの首都マニラがあるルソン島北部に位置する棚田群は、少数民族イフガオ族によって作られたもので、標高1,000~2,000mの斜面に広がる。
この棚田を生んだ農耕技術は、2,000年にわたり口承によって受け継がれてきた。
急勾配で耕作地も狭く、大型機械の使用は困難で、ほぼ手作業で行われている。
節を抜いた竹筒で湧水を流す灌漑システムは2,000年前とほぼ変わらない。
世界遺産に登録されているのは、バナウエ、マヨヤオ、キアンガン、ハンドゥアンの4地域。地球温暖化の影響で多雨が多くなったり、また建築や伝統工芸のため森林伐採を行った結果、棚田に土砂が流れ込む土砂崩れが頻発し、2001年には危機遺産にも登録された。しかし、地道な修復や他国の支援で植林も進み、森が戻りつつある。そして、2012年に危機遺産から外れることになった。
ヌビアの遺跡群:アブ・シンベルからフィラエまで 2023.6.4(日)
登録年:1979年 登録基準:(ⅰ9(ⅲ)(ⅵ)
1960年に始まったエジプト政府のアスワン・ハイ・ダム建設によって水没の危機にあった神殿。ナイル川にはすでにイギリス占領下で造られたアスワン・ダムがあったがナイル川氾濫を防止するとともに、安定した電力を供給するため、上流にさらに巨大なダム建設が国家事業として進められることになった。
ダム建設を知ったユネスコはアブ・シンベル宮殿の調査を開始。1960年3月からは各国に向けて、ヌビア遺跡群の救済を求めるキャンペーンを開始。これが注目を浴び、世界50ヵ国が協力し、1964年から救済事業がスタート。
アブ・シンベル宮殿を小さなブロックに切断、解体し、西へ210m、元の場所から64m高い場所に移築することになった。工事は1968年9月に完了した。
こうした後世に残すべきものを保存し伝えていくという考え方をもとに世界遺産委員会が発足していった。
エジプト、ナイル川上流のヌビア地方の遺跡群は、古代エジプト新王国時代(B.C1570年頃~B.C1069年頃)、及び古代エジプト末期のプトレマイオス朝時代(B.C304年~B.C30年)に建てられた建造物群。
ヌビア地方は金などの鉱物の産地であり、アフリカ奥地との交易の中継基地であった。
そのためエジプトの王たちはたびたびヌビア地方に出兵、紀元前1550年頃、最終的にエジプトの支配下に置いている。
紀元前1260年頃、新王国時代第19王朝のファラオで、「建築王」と呼ばれたラメセス2世(在位B.C1279年頃~B.C1213年頃)は、ヌビア
地方の都市アスワンの南約280kmの河岸に巨大な神殿を建造。それがアブ・シンベル宮殿で、正面には高さ22mもあるラメセス2世の座像が4体切り出され、それぞれの足元には母や王妃、娘、息子など小さな立像が彫られている。
また、アブ・シンベル宮殿から北に120m離れた場所に、王妃ネフェルタリのために神殿を築いた。この神殿の入り口にもネフェルタリを挟んで4体のラメセス2世が左右に2対彫りだされている。
ラメセス2世は非常に自己顕示欲の強い王だったといわれており、王国の記念建造物に書かれた歴代王の名前を自分の名前に書き換えさせるという話もある。
アスワンの南、ナイル川に浮かぶ小島であるフィラエ島には、B.C4~3世紀に建てられた古代エジプトの女王イシスをまつるイシス神殿などの遺跡があった。
この神殿は、五賢帝時代のローマ皇帝たちに気に入られ、テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教とする政策を完了したことも記されている。
フィラエ島の遺跡も、アス・ワン・ハイ・ダム建設によって水没の危機に瀕していたが、1972年にアブ・シンベル宮殿と同じく、かつてのフィラエ島と地勢がよく似たアギルキア島に移築された。現在は、このアギルキア島がフィラエ島と呼ばれている。
グランドキャニオン国立公園 2023.5.28(日)
登録年:1979年 登録基準:(ⅶ)(ⅷ)(ⅸ)(ⅹ)
アメリカ西部、コロラド川沿いに横たわるグランド・キャニオンは、浸食と風化によって作り出された世界最大規模の峡谷である。約6,500年前の地殻変動による造山活動で隆起。約1,000万年前から、軟らかい堆積層がコロラド川の浸食により削られたり、岩の間に染み込んだ雨水が凍結、溶解の過程で岩を破壊する風化が繰り返され、約120万年前に現在の形になった。
最大の特徴は、時代の異なる地層が幾層にも折り重なっている点。大きく11層に分けられる地層のうち最下層は、地上に露出した地層としては地球最古となる20億年前の先カンブリア時代のもので、最上部の最も新しい地層でも約2億5,000万年前のもの。
スイスのサルドナ上層地殻変動地帯 2023.5.14(日)
登録年:2008年 登録基準:(ⅷ)
サルドナ地方は、サルドナ山をはじめとする3,000m級の7つの山がそびえる山岳地帯。造山活動が盛んだったこの一帯では、プレート同士が衝突することで発生する断層が、通常とは逆の方向に生じる逆断層と呼ばれる現象が起き、約3,500万年前~5,000万年前の地層の上に、より古い約2億5,000万年前~3億年前の地層が重なるという逆転現象がみられる。
ダイナソール州立公園 2023.5.7(日)
登録年:1979年 登録基準:(ⅶ)(ⅷ)
アメリカ
カナディアン・ロッキーの南東に位置する公園でバッドランド(樹木の生えない荒れた[悪地]という意味)と呼ばれる乾燥した原野が広がる国立公園で、世界遺産には約78㎢が登録されている。
この一帯は、現在は乾燥した原野だが、7,500年前は亜熱帯気候にあり、辺り一面に緑が生い茂りヤシの木や巨大なシダが生えていた。
氷河期の浸食によって地層が削り取られ、7,500年前の白亜紀後期の地層が地表に現れており、そこから恐竜の化石が多数出土されている。
1884年に考古学者のジョセフ・バール・ティレルによって肉食恐竜の頭蓋骨が発掘されたのを皮切りに、アルバートサウルス、トリケラトプス、ティラノサウルスなど50種400を超える恐竜の化石、150体を超える完全な恐竜の骨格が発見された。
世界で知られている恐竜の5%がここから発掘され、今後もその数は増えると考えられている。
マチュ・ピチュ 2023.4.30(日)
マチュピチュについては昨年にも詳しくブログで掲載させてもらったので、興味のある方はこちらへ
マチュピチュを拠点に4万kmものアンデスの道があるそうで、今のその名残はあちこちに残っている。そして、アンデスの道を使って何を運んでいたのかといえば「塩」なのである。マラスの塩田からとれる塩は上質なものであった。
世界遺産を学んでいると世界各地に【塩】に関する世界遺産が非常に多いと感じる。
特に今回のアンデスのような山岳地帯も然り、海から離れた所では特に塩の価値が高まる。ヨーロッパの方でも税金として塩が納められたくらいである。塩は人間の体を構成するために重要なミネラルである。
マチュピチュに行くには、ペルーのクスコまで飛行機を乗り継いで、クスコから電車で3時間ほど、マチュピチュ村からバスで遺跡に向かう。日本の地方都市から向かうにはどれくらいの時間とお金を要するんだと感じてしまうのは庶民の感覚ですよね。