ケベック旧市街の歴史地区 2023.4.23(日)

 


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登録年:1985年  登録基準:(ⅳ)(ⅵ)

カナダ

 

中学校か高校生の頃、社会でケベックって1回は耳にしたことがある。カナダなのにフランス語が公用語。そんな昔の記憶もある。

今回放送された世界遺産ではそのケベックの旧市街が舞台。

 

カナダ東部のケベックは、フランスの植民地の拠点として1608年にサミュエル・ド・シャンプランが砦を築いたことに始まる北米唯一の城塞都市。

フランス人の探検家がセントローレンス川を北上していた。先住民の言葉で【川幅が狭まる所】を意味するケベックに植民地の建設が始まった。

ダイアモンド岬と呼ばれる崖の上にはアッパー・タウン(上の街)が築かれ、行政と宗教の中心地。崖下はロウアー・タウンと呼ばれ商業や住居、海軍施設などがあり、ケベックで最も古い地区も残る。ロワイアル広場あ発祥の地とされる。

入植したフランス人は生息していたビーバーに着目し、ビーバーの毛皮による毛皮貿易で富を得た。

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今でいうシルクハット。とてもおしゃれで西洋の方が身に着けているが、シルクハットは名前の通りシルク(絹)だが、その帽子が作られた当初はビーバーの毛皮が使われており、トップハットと呼ばれていた。

 

当時、イギリスとフランスは北米の植民地建設を巡り争っていた。ケベックはフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス(新しいフランス」の要塞として建設。イギリス人が狙っていたこともあって崖上のアッパータウンは崖にそって城壁が築かれている。

その後、1759年ケベックが陥落し、イギリス領となったが、フランス文化の香りは色濃く残った。1774年にケベック法が制定され、フランスの民放の効力、信仰の自由、そしてフランス語の使用が認められている。

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そして、イギリスの植民地支配から独立しようとしていたアメリカ。1775年から独立戦争が始まるが、そうした歴史もあってケベックのアッパータウンにも、イギリス人が建設した星形要塞「ラ・シダテル」が残る。

カナダの先住民から見れば、植民地とされたフランス人にも不満がありそうなものですが、文化や経済を発展させ、富をもたらしたフランス文化には感謝していたのかもしれません。街には「JE ME SOUVIENS(ジュ ム スヴィアン)」という文字もあり「私は忘れない」という意味だそう。イギリスの支配下においてもフランスの文化を忘れないという思いだったのでしょう。

 

街の1つ1つを見ても、歴史的な背景を知ることができて、カナダのケベック公用語はフランス語というただの暗記ではなくて、植民地時代のこと、アメリカの独立やなど色んな事柄を交えて知ることでもっと社会が歴史が地理が面白くなると思います。